総合文化研究所
最新更新日 2018.12.21
                   まとめ&展望

綜合文化研究所を2004年4月28日に設立いたしました。
これは私にとっての出発地点です。思えば2001年8月に文章として草案し始めてからかれこれ3年の月日が経ちました。
21世紀に入った直後のころ私はインターメディウム研究所という教育機関で仕事をしていました。その研究所は先端芸術とテクノロジーの融合をめざす新しい枠組みをもった研究所としてありました。確かに私はその研究所で事務局長という職席にあって経営と教学のレベルを体験しました。

個人の生活において、生活の充実感を得ることを目的として、自分の興味ある分野を職業にするということは必要なことです。人の欲望を喚起し実践につなげていき、社会的ステータスを得ていくこと。とにかく有名になること、スターになること、そのことによって自己実現を達成できる、その手法を伝授します、というような生き方が正しいのかどうか、という疑問。それに教育システムを商品価値として捉える捉え方を、もし仮にこの捉え方が現実社会の中心をなす考え方だとしたら、私はとんでもない罪を犯すことになるのではないか。そんな疑問が湧いてきたのでした。

ひととの巡り合いは人生を変容させる。一途な無名な生き方を選択しようとするひとに出会ったとき私はある啓示を受けました。そこから自然体に帰るということを模索しはじめたのです。その年の9月11日にはニューヨークのWTCビルに旅客機が突っ込むという事件がありました。それからアメリカがアフガニスタンに続いてイラクに戦闘部隊を送り込みました。2003年にはこの国も参戦することで実質戦争状態に入っています。
このような国際社会のおおきな動きに対して、何をもって私という個人が抵抗できるのか、ということが課題としてありました。

綜合文化研究所の企画原案は「フリースクール京都」という名称でした。テクノロジー文化が進展していくなかでは、個人の心が乖離破綻していくのではないか、という直感がありました。そのための方策として、いま一度原点にもどろう、と思いました。
それは農することとアートすることを同列において新しい生き方を提案しよう、ということと、その生き方をみずから実践しよう、という決意でした。

このことをなぜこのような形にまとめていく必要があるのかとの自問もありました。私自身が無名の生活者に徹するべきではないのか、という自問です。しかしこれは、この時代に生きる人間として得た行動原理に忠実であること、運動を創って生きたいという欲望がある、忠実に生きることはこの欲望を実践していくことなのだ、との結論に達したのです。

私は2002年6月にインターメディウム研究所を辞任しました。名目は経営責任を取るという大義名分ですが、本音はもうボロボロの精神状態だったことです。いま私は身体、生きてここにいますが、そうですね、死の直前状態だったような気がしています。この心情は同時代の同世代の多くが共有した心情だと思います。
そこからの出発として、2003年10月前に出てきているエネルギーを、この綜合文化研究所を立ち上げていくという事業に集中しようと思ったのです。

それから半年後を設立日と設定して私の大きな理想を語ろうと思いました。ここに繰り広げられた論や形は、まだなにも実態がありません。妄想の産物です。でもここから出発するしかないのも現実です。この企画が独りよがりで終わるのか、はたまた未来を予測していく企画になっていくのか、それはわかりません。でもここから、独りだけでも叛乱していかなければならないと思っています。

先に所属していたインターメディウム研究所の解散します。綜合文化研究所は設立されます。3年前の私の方向転換が、私は正しかったと認識します。

          2004年4月30日 中川繁夫





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