学校とはなにですか、という問いかけをしてみてどのようなイメージが湧いて来るのでしょうか。ぼくは、学校で教えたり教えられたりすることっていうのは基本的にその「時代の真理」と「生きていくことの希望」を紡ぎだすことだと考えています。

ぼくはこの綜合文化研究所では、理想とする学校機能のことを「あい実践学校」と名づけていますが、この学校は新しい時代の文化を担うひとたちが、人間としてあるべき姿の根本の捉え方そのものを創り出す運動体だと定義するところから始まると思っています。
あい実践学校は、生活の技術を身につけるだけのところではないし、いまある社会の中心へ参入していくための有利な条件を身につけるためだけのものでもないんです。

ぼくたちが生きている時代の<政治・経済・文化の総体>の構造をどのように捉えるのかということと、その総体の中でどのように生きていくのかということを、それぞれの個人の立場で考えられることが求められてると思うのです。

そこでぼくは、いまある学校(教育)システムってちょっとおかしいのではないか、と思ってしまうのです。いまある学校のシステムは、国家・国民という図式のなかでの経済システム、権力システムそのものに立脚していると思うからです。

ぼくの思考のなかには、この経済巣ステムと権力システムを、どのようにして解体させていくのか、という問題があります。生産と分配と力関係の平準化とでもいえばよいのでしょうか。個人間に権力のない関係を求めます。この関係って磁場・磁力のような関係とでもいえばよいのでしょうか。そういう関係のあり方にしたい。

現文明世界の産業構造態の変化がもたらしてきた結果としてのアメリカ・グローバリズムを、基本的に認めることができないのです。その枝葉として、この島国の存在は、社会のなかに権力、あるいは階級構造を残したままだと認識します。
この歴史の結果としてのいま、<正規の>といわれる法人格をもった学校の存在と、教育のあり方は、個人を国策産業態に組みこむためのものでしかないと思うのです。

<人間疎外>という単語が死語であって、<夢と希望>という単語が生き生きとしているのならいいのですが、ぼくの感情としては、決してそのようには感じられないのです。

しかし、やはり、いま、ぼくはこの言葉、「人間回復」と「夢と希望」を使い出そうと思います。
あい実践学校は、個人が疎外されてる感覚を解消し、夢と希望に満ちた心を得られるようなシステムを持った個人と社会を創り出す学校です。

ぼこの思いは、一人ひとりが生産に携わること、そしてものを創り出す技術を修得することの背後にあるものをも含めて、個人が生きていくことを夢と希望に満ちた、喜ばしいものにするような学校を機能させたいと考えているのです。

                  2004.3.6 nakagawa shigeo 2005.4.22追記

1 学校の領域について

 学校領域は、綜合文化研究所の綜合指針を実践していくメンバー育成の現場です。
 綜合文化研究の分類では概念上おおまかには4分野に体系分けをおこなっています。

 第一群には、ジャーナリスト系、ディレクター系、および著述・編集系
  ※通信制「あい写真学校」 ※通学制「写真ワークショップ京都」
 第二群には、身体系、農業系、手工業系、およびデジタル領域系
  ※あい農学校
 第三群には、哲学・宗教系、文学・歴史系、芸術系、および社会科学系
  ※あい文学校
 第四群には、天文・生命体系、生物学系、および自然科学系
  ※あい自然学校

  ※2005.4月までに開校された各学校です。

      この項は、2005.4.22、追記しました。





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最新更新日 2018.12.21