by
nakagawa shigeo 2005
いま(2005年)からおよそ100年前の1900年代、
アメリカはニューヨークでの出来事です。
1902年、アルフレッド・ステーグリッツが中心となって、
フォト・セセッション第一回展を開催します。
この展覧会の目的は、
「絵画的写真の型にはまった伝統的写真概念への異議申し立て」でした。
すでに受けいれられている写真の考え方から、脱却することを目的としていました。
ステーグリッツは写真というモノの機能を、
その原点へ戻すべくカメラの機械性に表現の基調を求めていきます。
手軽なハンドカメラを使って、ニューヨークという変容していく都市の光景のなかに、
魅力的な素材を見つけていきました。
ステーグリッツ 三等客船 ステーグリッツ セルフポートレート 1907年 ステーグリッツ カニングハム撮影1934年
当時のアメリカでは、写真は趣味の道具として使われていました。
自転車、蓄音機といった道具と同列の扱いですね。
19世紀末に発売された小型のコダック・カメラ。
写真製版術の改良で写真印刷が可能になっていました。
ステーグリッツは、これまで主流だったピクトリアリズムの写真から、
カメラ・写真はそうではない使い方として扱っていくのです。
1903年、写真を造形芸術とみなす綜合芸術誌「カメラ・ワーク」を創刊します。
1905年、ニューヨークの五番街に<291>ギャラリーを開設します。
19世紀にはヨーロッパが中心の写真表現は、20世紀に入ってアメリカにおいて、
絵画的な束縛から離れて、写真独自の表現へとなってくるのです。
20世紀初めのアメリカを一言でいうと「都市化へ」ということでしょうか。
フォード自動車会社の設立が1903年、同年、ライト兄弟が飛行機(複葉機)で空を飛びます。
同年、綜合芸術誌「カメラワーク」が創刊しましたね。
ステーグリッツが「終着駅」という写真(1892年撮影)には、NY・ハーレムの早朝、鉄道馬車の光景が撮られています。
それから10年後にフォード自動車会社の設立なんですね。
ステーグリッツ 終着駅 1892年 ステーグリッツ J・オキーフ 1931年
文化・芸術の中心はまだ、フランスやドイツであったとしても、
アメリカは一気に近代産業の中心的役割を担うようになります。
ステーグリッツは、写真が絵画とはちがう新しい芸術様式であることを主張します。
その主張こそって、機械の目(カメラ)が見る都市の風景を、スナップショットで撮っていきます。
都市化する世界と写真が都市へ向って撮るテーマが、クロスし始めるのがこの頃です。
もちろん表現方法は紆余曲折しますが、現代写真の主要なテーマがここにあって、現在までクロスしてきたと見ています。
政治経済や工業の世界構造において、現代への原形がここ、20世紀初葉のアメリカにあるとすれば、現代写真の原形も、ここにあるといえます。
都市や社会の成熟は、それまであった自然環境から分離しますが、写真家にとっても自然から遊離・浮遊した自分の存在を、現実としてとらえてくるようになる視点を確保しはじめます。
20世紀の首都となっていくニューヨークの第一歩と、写真が独自の表現方法を確立していく第一歩がここにみられます。
綜合芸術誌「カメラワーク」、<291>ギャラリーの開廊、というポイントは、近代〜現代写真の原形を創り出した装置であったと思います。
nakagawa shigeo