19世紀の写真通史
by nakagawa shigeo 2005.3〜2010.3.28
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1839年、フランスで公開された写真術は、その後170年を経て現在にいたっています。
ここ数年には、携帯電話のカメラ機能がめざましく拡大してきています。
写真の現在地点は、これまでの165年の写真史とは、写真の在り方が大きく変容していくターニングポイントになる様相を呈しているようです。
このような現状を見つめて、改めて「写真とは何か」ということを捉えたいと思います。
2005年の現在において、写真とは何か、ということの理解、あるいは写真の歴史を見る、ということは何を意味するのか、といったようなことを考えていくことが必要だと思います。
カメラの機能が多様化してだれもが写真家になれる時代です。
そういう時代だからこそ、写真家であることの条件とは?という設問も必要なことと思われます。
タルボット
写真術は、フランスのダゲールによって発明されたとされています。
その当時の写真術を研究した人たちは、科学者でした。
現代のように、写真を芸術として、あるいはドキュメンタリーとして考えるということではなかった。
その後から現代には、自己表現の手段として写真を捉えるようになってきました。
アートの様態が変容してきたように写真もまた、内容が変容してきました。
この変容の過程を、ここではまとめていきたいと考えています。
写真術発明の当時、ダゲールのほかに、ニエプス、タルボット、バイヤールといった研究家がいました。
現代流にいえば、新規技術開発にしのぎを削って、いち早く特許を申請する、というようなことでしょうか。
ということで、パリにて研究していたダゲールが特許権を取得したということです。
写真をつくる道具としてのカメラ、感光材料の発達史をみますと、
すでにカメラの原型は出来上がっていて、感光材料の開発にしのぎを削ったんですね。
技術開発内容の詳細は別項にしますが、19世紀中頃の科学・化学技術レベルにおいて、写真術(感光材料)が開発されたのです。
写真術、つまり外界の光景を絵具を使わずに定着させることが可能になったのです。
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写真の歴史を語るとき、絵画美術の歴史的共存が引き合いにだされます。
写真が発明された19世紀中庸は、パリを中心とする絵画世界では後期印象派の時代です。
絵画の下絵としてスケッチ代わりに写真を使うこととか、肖像画から肖像写真への移行などです。
絵描さんの作業・仕事を代行するようになってきます。
写真の使われ方としては、肖像写真を撮ってもらう写真館が乱立してきます。
パリを中心とする市民の意識のなかに、肖像画より廉価で簡便な装置「写真」でわが姿を残す、ことが流行します。
また、まだ見たことのない風景を写真に撮ってきて、公開するとゆうこともおこなわれました。
1839年、写真術が公表されるやいなや、その1時間後にはパリ中の眼鏡店に大勢の客がつめかけて、撮影用機材を予約注文する光景が見られたといいます。
自分を見つめる鏡としての写真のあり方と、まだ見ぬ世界への好奇心の充足です。
写真が現実をありのままに複写する、少なくとも目の前に現存した物が撮られているという現実感が、写真への信頼、密着感につながってきたのだと思います。
写真の出現は、絵画世界の変容を促しますし、市民の欲望を充足させる役割を担います。
一方で写真は、絵画に迫ろうとします。
ピクトリアリズムからモダニズムへいたる過程には、絵画のように描く手法がとられます。
写真発明者ダゲールの写真技法は、銅板に銀メッキを施し、この板にヨウ化銀を塗ることで感光性を持たせて、撮影後、水銀蒸気で現像するというものです。これを「ダゲレオタイプ」と命名しています。
このダゲレオタイプ技法が特許を得るのですが、この技法は複製ができません。
イギリスのタルボットは、独自に写真術の研究を続けていて、1841年には紙のネガから焼き増しができる写真術(ネガ・ポジ法)を完成させました。この技法には、タルボット自身が、カロタイプと命名しています。
ちなみに最初の写真とされているのは、ニエプスが撮った「窓からの眺め」1826年です。
ニエプス 1826
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<写真術を発明した四人の人物について>
1839年、フランスはパリにおいてダゲールが写真術を発明したことになっていますが、当時、四人の人物が写真術を発明(考案)しています。
その四人の写真術開発者は、次の人たちです。
・ニエプス(フランス、1765〜1833)
・ダゲール(フランス、1787〜1851)
・タルボット(イギリス、1800〜1877)
・バイヤール(フランス、1801〜1887)
四人の発明した技術は、それぞれにタイプの違った「写真」でした。
ただ同一点は、カメラ・オブスキュラを使って画像を自動的に作り出すことでした。
四人のうち三人がフランスで、一人がイギリスで発明しました。
写真の発明は、科学的条件、社会的条件、それに人の心理的条件が整ってきたときに、必然的に生まれてきたうようにとらえられます。
この必然は写真に限らず、たとえば現代の例なら、コンピューターの発明などにも当てはめることができるでしょう。
写真発明の科学的、社会的、心理的条件を整理すれば次のようにいえます。
光学的には、レンズやカメラ・オブスキュラの性能の向上。
化学的には、銀塩が光に当たって黒化することの発見。
社会的には、パリを中心に中間市民階級が形成されてきた。
知覚的には、人間の空間知覚の変化。
ここで注目したいのが、イギリスで発明するタルボットです。
タルボットは1844年に写真集「自然の鉛筆」を発刊します。
タルボット
タルボットは、自ら発明した方法(カロタイ)で、写真を撮ってみて、
写真とは、何でもカメラの前にあるモノを全て写してしまうことに気づきます。
ヒトの視覚のように何かを強調したり省略したりするのではないことを知ります。
見えるものの全てを記録してしまうことを発見するのです。
タルボットの写真術は、視覚の発見にもつながってきます。
写真は、意識できる意味を抜きにして成り立つ<イメージ>なのです。
(対置としての絵画は、意識できる意味を込めていきます)
つまり、撮影者の意識に関係なくカメラの前にあるモノが写ってしまうことです。
タルボットは、自分の思いのモノを撮っていきますが、
妻や娘といった家族にもカメラを向けていきます。
このことは、タルボットにとっての写真術が、
プライベートな装置として使われていたことです。
写真家あるいは作家としての作品を考えていくとき、
このタルボットにその資質が芽生えていたと見ることができると考えています。
この意味で、最初の写真家だったといえるかも知れません。
(写真はおおむねその目的を、社会的に外から与えられた実践として行為されます)