現代メディア表現論
「過去の巨匠達から学ぶメディア表現とは」


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最新更新日 2018.11.2

  現代メディア表現論
    「過去の巨匠達から学ぶメディア表現とは」

                                           nakagawa shigeo
                                             2011.1.29

1、写真発明以後のメディア概況

  (A)オリジナルプリント、版画印刷
  (B)輪転機印刷による大量コピー
  (C)映画の出現、テレビメディアの出現
  (D)インターネットの出現、携帯電話の出現

  ★カメラ装置の変遷
   (1)大型カメラから小型カメラ(フィルム)
   (2)デジタル家電製品としてのカメラ

     

  ★表現メディアの変遷
   (1)ギャラリーの壁面
   (2)印刷による出版(多数部数を印刷)(少部数を印刷)
   (3)ウエブネットワークの活用

  ★その時代のメディア展開方法
   (1)新聞・雑誌への写真掲載でリアルに表現
   (2)印刷媒体、コマーシャル時代のイメージ創造を担う写真

  ★消費される写真(紙媒体)
   (1)プリントショップによるプリント
   (2)コンビニのコピー機によるプリント
   (3)オリジナルアルバムの制作

  ★デジタルブックの時代
   (1)携帯電話機能とデジタルカメラ機能&フォトストック機能
   (2)写メ(写真添付メール)から動画○○メ(まだ名前がありません)へ

  ★現代写真家像
   (1)カメラ
   (2)テーマ
   (3)発表媒体と発表方法


2、その時代のメディアを駆使した写真家

(1)タルボット
  
    

(2)ステーグリッツ

    

    

(3)ユージン・スミス
        

      

(4)東松照明

       

      


(5)森村泰昌

      

      


●各作家をとりまいたメディア環境

(1)タルボット
 英国にてカロタイプ写真術(1841年特許申請)による写真制作
 最初の写真集<自然の鉛筆>(1844〜1846)
 オリジナルプリントによる写真集で6分冊24点のオリジナル印画

(2)ステーグリッツ(1864〜1946)
 1903年〜17年、写真分離派機関誌「カメラ・ワーク」50号まで
 1905年〜17年、291ギャラリー
 カメラワークの出版と291ギャラリーの開設
 印刷による書籍化とオリジナルプリント展示

(3)スミス(1918〜1978)
 1939年〜43年、ライフに81点の写真、コリアーズに79点の写真掲載
 1943年〜44年、フライング誌の特派員として南太平洋戦域に参加
 1944年、ニューヨーク近代美術館で戦闘写真を展覧、のち南太平洋戦線に戻る
 1972年〜75年、水俣を撮る、撮り編集し巡回写真展を組織しながら、雑誌に発表

(4)東松照明(1930〜)
 写真雑誌への発表による読者の獲得
 写真雑誌「フォトアート」、「カメラ毎日」など、総合誌「現代」など
 1954年、岩波写真文庫に入社
 1961年、「Hirosima Nagasaki Documento 1961」原水禁日本協議会
 1967年 写真集「日本」写研
 1972年〜74年、沖縄移住、宮古大学を創設
 1975年 写真集「太陽の鉛筆」毎日新聞社
 1978年 写真集「泥の王国」朝日ソノラマ
 1990年 写真集「さくら・桜・サクラ」ブレーンセンター

(5)森村泰昌
 コンピューター処理による美術作品
 アーティストブック、現代美術ギャラリー、美術館展示
 逃走する作家 作家とは
 1989年 美術史の娘 マネのベルジェールの酒場
 1990年 批評とその愛人 セザンヌの林檎


3、現代のメディア表現環境

1、既存の表現媒体
 (a)ギャラリー壁面展示
 (b)写真集

2、新しい表現媒体
 (c)インターネットにおけるホームページ 
 (d)メーカー提供のブログ&フォトアルバム

3、静止画から動画へ
 (e)2010年現在、デジタルカメラで撮る画像は、静止画から動画へと移行中
 (f)記憶媒体(メモリー)の容量増大、通信速度の高速化
 (g)液晶画面で見る静止画から動画へ

4、現代写真家像は、いかなるスタイルをしているのでしょうか
 (h)・・・・・・


<資料1>

<写真イメージは素材である>

写真を、紙に定着させるにせよ、パソコンでの液晶画面に定着させるにせよ、写真は一枚ぽっきりの単独イメージです。写真を考えるということは、写真の中身(撮られた被写体)を考えることを中心に、写真論を組み立て、写真のあり方を考えます。でも、それだけじゃなくて、写真という固定されたイメージの紙または液晶画面が置かれている状態を考えることも必要ではないかと思うのです。

写真の中身は当然、論の中心であってよいわけですけど、たとえば、写真を見せる枠組み、フレームといえばいいか、ギャラリーの壁面であったり、雑誌とか写真集の印刷物であったり、ネット上で組まれるアルバムであったり、そのフレームを考えると、写真が素材で、写真を料理(編集)して、器に並べて、見栄え良くして、おいしくいただく。そういう全体がわかってきます。

ここでは、ネット上で展開される写真の枠組みについて、論じておこうと思います。というのもデジタルカメラで撮って、ネット上で発表することが主流となってくるからです。ネット上で発表される写真の、枠組みは、ホームページ、オンラインアルバム、ブログなどです。もちろん自作も可能でしょうが、写真を載せる枠組みは、既存に提供されるフォーマットを使います。オンラインアルバムの形体、ブログのデザイン、ホームページのフォーマット、などは選択するところから始まります。

写真イメージは素材である、とタイトルしましたが、一枚一枚の写真イメージが素材として、スライドショーの枠組みを提供されていることに着目してのことです。つまり、スライドショーって、静止画の動画発想で、音楽つきスライドショーができるアルバムです。ニコンのアルバム、ヤフーのアルバム、ぼくはこの二つのアルバムのスライドショーを見て、考えているんです。このネット上のアルバムのスライドショーでは、写真イメージは素材なのです。

<携帯電話とトイカメラ>

最近の写真をつくる道具としてのカメラの注目は、携帯電話とトイカメラです。携帯電話についたカメラ機能と、いっぱんにトイカメラといわれているフィルムカメラ&デジタルカメラが、写真をつくる。これが写真家と呼ばれない人たちの最近の道具(ツール)です。
もちろん高級デジタルカメラがあり、従前のフィルム一眼レフカメラがありますが、簡便、面白い、など若い世代に受けているのが、携帯電話カメラとトイカメラです。

一方で、現代写真とは何か、どんな様相なのか、ということを考えていて、いくつもの切り口から、その全体を見てみたいとの思いがあります。この立場からいうと、写真を作る道具としての、カメラ装置への考察です。歴史に見てみると、写真の歴史はカメラと感材の道具類によって、その内容が左右される、つまり表現方法が変わる、ともいえます。

カメラは、いつも、その時代の最前線テクノロジー、技術が搭載された道具です。そのことでいえば、携帯電話はこの時代の最前線テクノロジーです。その機能としての写真を作る機能なわけです。反面、トイカメラは、そのまま直訳すれば、玩具写真機、基本原理に従って、フィルムまたはデジタルチップを装填して写真をつくる。

ここに二つの方向がみえてきます。最前線道具を使って、写真を作る方法と簡単装置で写真を作る方法です。特に携帯電話は、誰もが持っているような時代です。つまり、誰もが常態でカメラを持っている時代だと言えます。そのことと、昔帰り気分で、トイカメラ、と言うことでしょう。ピンホールカメラブームだし、トイカメラブームだし、いずれも時代感覚のファッションですね。

<ネット時代の写真表現について>

写真で何を表現するかという大きな問題を解いていく道筋に、今(2010年)の写真を作り、写真を人に見せる、つまり発表するシステムを解くことがあげられます。
この観点でいえば、ネットワーク、インターネットの時代、デジタルカメラの時代というのが、今の時代の代表システムだと考えています。
フィルムベースの写真の作り方から、デジタルベースの写真の作り方へ、わたしたちの思考とその手法を、考えなければいけません。

表現の中身は、プライベート情報の発信、と仮説を立てての出発ですが、ツールはデジタルカメラとデジタル環境です。
フィルムを必要としないデジタルカメラの、処理環境はパソコンです。パソコンの通信機能は、いまやネット上に開設されるフォトアルバムが、発表の中心媒体です。
フィルム時代には、印画紙に焼き付け、物質としての紙の上にイメージを載せ、それをギャラリー等に展示して見せる、という方法でした。この方法は、いまや過去とは言い難い状況ではありますが、カメラと写真のシステムとしては、今の最前線ではありません。

さて、こうして、今の環境、状況を考えると、デジタル写真がネット上のアルバムにて供覧される、というのが主流ですね。
ネットアルバムに写真を載せることって、とってもイージーなイメージがありますが、つまり、いまや写真発表は、イージーなのです。
何に対してイージーかといえば、ギャラリー等で展示するという方法と対比させて、ということになります。
それでは、ギャラリー等で展示することが、発表媒体として優位にあるかといえば、必ずしもそうではないし、過去と今、以前と今、それが現時点での一般的認知としても、ギャラリー上位ではなく、同格だと考えます。

つまり、ネット時代の特徴を、写真表現の手法に加えるべく、そのツールを加味しなければいけないと考えているのです。
フィルムカメラでつくる写真の延長線上に、今がある、とは言えない。言えないという認識から、デジタルカメラに拠る写真表現を、考えていかないとダメですね。
ひとつの特徴として、デジタルカメラからネット上への発表のプロセスには、第二者、第三者が介在しない、ということがあげられます。
フィルムの時代には、自家処理する人以外は、フィルム現像、プリントを、他者にゆだねなければなりませんでした。


<資料2>

★東松照明氏の年史(1966年から2007年)

1966年 「<11時02分>NAGASAKI」出版。
     みずから出版社を作り出して単行本出版を試みる。
1973年 カメラ毎日誌に「太陽の鉛筆・沖縄」を連載する。
1975年 「太陽の鉛筆」カメラ毎日から出版する。
1974年〜 写真学校/ワークショップと「桜」取材を経て
1981年 京都取材に入る。
1986年 心臓バイパス手術を受ける。その後写真撮影再開でインタフェースの世界へはいる。
1989年 「プラスチックス」を発表(パルコ・ギャラリー)
1990年 「さくら・桜・サクラ」ロッテルダム&大阪で個展
1994年 <![endif]>「桜・京―原像ニッポン国」コニカプラザで個展
      京都取材から10年目にして個展開催
1999年 長崎へ移住する。
2003年〜2004年 京都国立近代美術館において6回シリーズの個展を開催
2005年 「Camp カラフルな!あまりにもカラフルな!!」ギャラリー新居で個展
2007年 「Tokyo 曼荼羅」東京都写真美術館にて開催


<資料3>

●1950年代以降のメディアと写真表現の年代記

  ・名取洋之助主宰「日本工房」と岩波写真文庫
  ・カメラ雑誌の復刊・創刊

1950年代 印刷雑誌の時代
  ・土門拳、木村伊兵衛のリアリズム写真運動(1952年)
  ・本庄光郎らの主観主義写真(1956年)
  ・東松、奈良原、川田らによるVIVOの結成(1959年)

1960年代 テレビの普及時代
  ・コンポラ写真の始まり(1966年)
  ・中平、高梨、多木、岡田によるPROVOKEの発刊(1968年)

1970年代 マスコミとミニコミの時代
  ・多極化の時代、ニュードキュメント
  ・東松、森山、荒木らによる写真学校ワークショップ(1974年)
  ・自主ギャラリーでの展開

1980年代 活字メディアから放送メディアへ
  ・マニピュレイト(操作)な写真の展開
  ・写真専門ギャラリーのオープン
  ・オリジナルプリント

1990年代 個人化とパソコンの時代
  ・新しい風景の発見(旅する視点)
  ・写真美術館のオープン

2000年以降 携帯電話とインターネットの時代
  ・新しい写真の潮流 プライベートフォト、女の子フォト
  ・デジタルカメラ、携帯電話を使う作品展開
  ・古典技法、オリジナルプリント、ミュージアム、ギャラリー展示