現代写真表現論
テーマ 東松・荒木・プロヴォーグの作家にみるドキュメントの形
キーワードは -生命・自然・欲望-
2009.10.3
Nakagawa Shigeo
★現在という時代の写真環境
・いま、現在2009年10月の写真をめぐるハード環境を外観すると、一眼レフ・フィルムカメラの時代が過ぎて、デジタルカメラとトイカメラが制作ツールとして、前面に出てきています。
・デジタルカメラは、一眼レフデジカメであり、携帯電話のカメラ機能であり、コンパクトデジタルカメラです。また、フィルムを使って、ちょっと作家気分が味わえるトイカメラ類があります。
・1968年には、東松照明氏が、日録写真を発表(カメラ毎日3月号)していますが、フォトグラフィーにかわるホモグラフィーを提唱していたりします。
★現代写真とは、いつからを、始まりとするか。
・ここでは1968年を、現代写真の区切りの初めとしたい。
1968年前後とはどんな時代だったのか、特に写真をめぐる表現方法の問題として捉えてみたい。
・現在的な意味では、1968年から41年という歳月が経過したなかで、当時の主テーマだった「人間の解放」といったような命題が、いまどうなっているのか、との問い直すことだと思っています。
・この41年間になにがあったのか。現時点での話題の背景は、1968年を中心として現れてきた諸現象の将来的可能性に対して、現実に経過した年月があるわけですが、この現実に経過した年月をどのように捉えるのかが問題となります。つまり、肯定するのか、否定するのか。
・そこで、現代潮流としての社会的テーマを言い当てるとすれば、生命、自然、欲望というキーワードに、集約されるのではないかと考えています。
・この三つのキーワードを軸にして、現代写真の表現手法について考えてみたいと思います。
★日本の写真の特徴と東松照明
・日本の写真の特徴といえば、絵画や文学の特徴でもある花鳥風月の世界に対して、1950年代のリアリズム(社会の表層をなでていく手法でしか深化しなかった)、1960年代後半の前期コンポラ写真(PROVOKEを中心とする)と、後期コンポラ写真(牛腸茂雄に代表される)というおおきな流れとして観察されますが、東松照明氏は一貫して、社会ドキュメントの方法とあり方にこだわってきました。
★東松照明氏の年史(1966年から2007年)を書き出してみます。
1966年 「<11時02分>NAGASAKI」出版。
みずから出版社を作り出して単行本出版を試みる。
1973年 カメラ毎日誌に「太陽の鉛筆・沖縄」を連載する。
1975年 「太陽の鉛筆」カメラ毎日から出版する。
1974年〜 写真学校/ワークショップと「桜」取材を経て
1981年 京都取材に入る。
1986年 心臓バイパス手術を受ける。その後写真撮影再開でインタフェースの世界へはいる。
1989年 「プラスチックス」を発表(パルコ・ギャラリー)
1990年 「さくら・桜・サクラ」ロッテルダム&大阪で個展
1994年
「桜・京―原像ニッポン国」コニカプラザで個展
京都取材から10年目にして個展開催
1999年 長崎へ移住する。
2003年〜2004年 京都国立近代美術館において6回シリーズの個展を開催
2005年 「Camp カラフルな!あまりにもカラフルな!!」ギャラリー新居で個展
2007年 「Tokyo 曼荼羅」東京都写真美術館にて開催
★荒木経惟のメール・フォト&写真集「センチメンタルな旅」
・荒木経惟氏は、1970年前後、メール・フォトを展開します。写真をゼロックス・コピーし黒のラシャ紙を表紙として赤糸でとじられた写真集を郵便で送ります。ここで荒木氏は、<写真に関するメッセージ伝達の可能性>を追求していたとされています。
・1971年には写真集「センチメンタルな旅」を、限定千部定価千円で自家出版します。
・妻陽子さんとの新婚旅行を、日常的な眼で追うフォト・ダイアリーと云った気軽さがそこにはあります。東京を発ち、京都から柳川への新婚旅行です。
・荒木経惟氏の写真記録は、個人の新婚旅行というテーマで、それまで写真として見慣れていた、写真の社会的光景を上回る衝撃を内含していました。
・私的な関係への私的なまなざしとでも云えばいいかと思います。
★「PROVOKE」は、1968年11月に季刊同人雑誌として創刊された。
・創刊時の同人は、中平卓馬、高梨豊、多木浩二、岡田隆彦の4人。第2号から森山大道氏が加わります。
・「PROVOKE」(プロヴォーグ)とは、「挑発」という意味です。サブタイトルに「思想のための挑発的資料」と付けられていました。
・「PROVOKE」は、1969年8月に第3号を出して終わり、1970年3月写真・エッセイ集「まず、たしからしさの世界をすてろ」を発刊し、同人は解散します。
・「PROVOKE」同人たちの写真集
・森山大道「にっぽん劇場写真帖」1968年 「写真よさようなら」1972年
・中平卓馬「来たるべき言葉のために」1970年
・高梨 豊「都市へ」1974年
★ 1974年9月、写真学校「WORKSHOP」が開校します。
・東松照明、細江英公、横須賀功光、森山大道、荒木経惟、深瀬昌久が講師となった個人塾の連合のような学校でした。季刊誌「WORKSHOP」を発行し、写真家志望の若者に新風をもたらしました。
★当時の流行にコンポラ写真というのがあります。
・コンポラとは、1966年にアメリカで開催された写真展「Contemporary
Photographers Toward A Social Landscape」(現在の写真家、社会的風景に向かって)から始まる一連の写真家の作品をさしています。
・日本においても日常のさりげない事象(事件もストーリーもない)を切り取る横位置の構図、対象との醒めた距離などを感じさせる写真が出現してきます。午腸茂雄氏の「日々」(1971年)などがそれである。
・当時も現在もテーマとなる、<自己と他者>という関係の網の目を、カメラと写真というメディアをとおして、検証していく作業をおこなうわけですが、その一つのスタイルとして、選択されてきたといえます。のち1977年出版の午腸茂雄「セルフ&アザーズ」はコンポラ写真の代表的作品であるといわれています。
●写真史のキーワード
・「報道写真」的な写真の社会機能と「モダンフォト」的な写真作品機能の否定
・「アレ、ブレ、ボケ」といわれる制作方法とその作品群
・言語と意味によって固定される以前の未分化の世界の断片としての写真
・写真による新しいイメージの創出
・1966年の「コンポラ」展の影響 etc
●1950年代以降の現代写真の年代記
・名取洋之助主宰「日本工房」と岩波写真文庫
・カメラ雑誌の復刊・創刊
1950年代
・土門拳、木村伊兵衛のリアリズム写真運動(1952年)
・本庄光郎らの主観主義写真(1956年)
・東松、奈良原、川田らによるVIVOの結成(1959年)
1960年代
・コンポラ写真の始まり(1966年)
・中平、高梨、多木、岡田によるPROVOKEの発刊(1968年)
1970年代
・多極化の時代、ニュードキュメント
・東松、森山、荒木らによる写真学校ワークショップ(1974年)
1980年代
・マニピュレイト(操作)な写真の展開
・写真専門ギャラリーのオープン
1990年代
・新しい風景の発見(旅する視点)
・写真美術館のオープン
2000年以降
・新しい写真の潮流 プライベートフォト、女の子フォト
1945年以降の年代を分けるとすれば・・・
第一世代 土門拳 木村伊兵衛
第二世代 東松照明、細江英公、奈良原一高、川田喜久治 等
第三世代 中平卓馬、森山大道、荒木経惟、高梨豊、土田ヒロミ、須田一政 等
第四世代 北島敬三、石内都、畠山直哉、小林のりお 他多数
第五世代 ・・・・・多くの女の子たち・・・??
☆☆ 現代写真表現のキーワード ☆☆
-生命・自然・欲望-
(1)
現代写真表現のキーワード
―生命、自然、欲望―
現在とこれからの写真の主要なテーマは<生命、自然、欲望>をめぐる3項目に要約されてくるのではないかと思います。
<生命>とは、
こころを科学の領域としてとらえていくことの方向です。これまでこころの領域というのはおおむね非科学的領域としてきました。フロイト以後の心理学分野では臨床成果を積み重ねることで科学的立場を持つようになってきました。これからは、幻想領域つまり妄想・幻覚・幻視など科学的に扱いにくいといわれてきたことをも含めていくことです。
これは科学的手法でもって非科学領域とされていた分野を解明していくという作業です。個体を超えていく意識、というイメージがあります。人間というのは合理性や道徳性に囚われることで自己というものを防衛していますが、合理的・道徳的でないとされてきた領域を取り込んでいくことです。
写真表現の領域というものが、いつもその外部にある社会科学や自然科学そして非科学的風評のなかで創られていることを取り込んで拡大してきたのだとすれば、この先におこってくるテーマは、いまの世の中の関心ごととその先にあるものを見えるイメージとして創生していくことになります。
<自然>とは、
やはり現在の世の中の関心ごとです。人間だけじゃなくて有機生命体として個体そのものがあるところ、宇宙や地球という環境のなかでどのように整合性をもって生命が維持されていくのか、という基本命題にたいして、どのように対処していくのがよいのかなと思うことです。ぼくたち人間は文化という概念を生成させてきました。その枠内で様々に考え行動する規範というものを作りあげてきました。
写真家という人は、写真という装置と手段をもってこの作りあげてきた内容を吟味し未来を予測していく作業をします。これはいつも自己矛盾を含みながらの作業となるように思います。<自然>の方向へとは、ぼくたちの日常にある<文化>という枠を外していくこと、可能であれば原初生命体のレベルで感じていくことです。
<欲望>とは、
情動つまり快感・不快感という感情レベルが生成されてくる処についてのイメージです。人間を含む有機生命体には生命維持階層のシステムとして内分泌系、免疫系、神経系の三系の構造に区分されていますが、どうも欲望という情動はその基底の内分泌系に由来するようです。その欲望というものをどのように開放してあげることができるのか、というのがこれからの写真のテーマです。写真がこころの深〜いその場所に触れてしまうときっていうのが、深い感動を共有できる場面なのではないかなと思います。
これからの写真表現を考えていくにあたって、ぼくはこの3つのキーワードを手がかりにしながら、あらためて「写真」がこれまで表現しようとしてきた社会の表層構造(政治・経済、芸術、宗教の総合)にアプローチしていくことが必要ではないかと思っています。
●現代写真のテーマとなる内容
1)人間とはなにか 社会とはなにか 人とはなにか 心とはなにか
ひとの内面 ひとの外面 社会の内面 社会の外面
2)科学の領域では、ひとの内面-こころ-の解明が進められていく
生命科学 生物学 医学
3)これまで非科学的といわれてきた領域が注目されていく
宗教 心・魂 アートする心