写真への覚書-私風景論-

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最新更新日 2018.11.2

  写真への覚書-私風景論-
   2007.5.9〜2007.5.26
   nakagawa shigeo


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私風景論-1-

通りすがりのスナップで、町中や神域をさまよいながらシャッターを切ります。やっぱり人のいる光景に興味がわいて、通りすがりに人がいる光景を撮ろうとしている私がいます。そうしていったい、この心境はなにかと問う私がいて、私の風景を探りはじめています。

写真を撮る行為の一つに、目の前にある光景を掠め取る、ハンター(狩人)の心境を表現する手法があります。密かに覗き見て集めるコレクター(採集者)の心境だろうと思います。この手法は、おおむね禁じ手として認識してきた手法なのだけれど、それをあえてやってみようとの試みです。


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私風景論-2-

人の心のなかは、男は女に、女は男に傾斜していくものだと思っています。ぼくは男だから、女に傾斜していく、ごく当たり前の心境だと認識します。ところで人には理性という概念があって、男が女に、女が男に、容易に近づいてはいけないとのお達しがあって、その代弁として小説や写真等の映像が供給されているのです。いいえこの論は単純化した心理の原点であって、現実は迷路のような、いくつもの回路が組み合わされて、私のまえにたち現われるのだと思います。


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私風景論-3-

見る、見たいという欲望が、いまや宇宙の果てから細胞内部の微粒子までをとらえるようになった映像世界にあって、ぼくが持っているデジタルカメラは、そのベクトルの一部をしかとらえられないので、その範囲で見る、見たい欲望を満たしていこうと思うのです。ここにあるのは、演出ナシのリアルな現場を、フィクション化していく写真作業です。


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私風景論-4-

神という存在は見えないものらしい。まるで人の心と同じやなぁと思います。ボディがあって衣装をつけて、それらしく着飾らせてもらっている社ですけど、ボディにつけられた扉を開くとなにがあるんでしょうかね。


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私風景論-5-

ソーシャル・ランドスケープという概念があります。社会風景と訳せばいいかと思います。そういうレベルでいえば、パーソナル・ランドスケープ、私風景をその流れのなかで想定しているわけです。もう古びたアルバムを開くように、私風景という概念も新しくはないです。ちなみにその後にはプライベート・ランドスケープなんて概念がでてきますが、パーソナルとプライベートの境界線は、被写体との関係に基づいて、赤の他人か身内レベルかということにしておこうと思います。


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私風景論-6-

社会風景にしろ私風景にしろ、基点は個人から見る視点です。撮り手は抽象的な立場ではなく、撮り手個人の具体的な立場での価値判断です。私の個人的興味に基づく被写体選び、このように言えるかと思います。そうするとぼくの興味は、・・・・ここに羅列する被写体への興味ということになります。たわいないといえばたわいないことです。


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私風景論-7-

社会のありようへ意味を示すというのでもなく、個別の関係があるというのでもない位置で、写真イメージを示すことは、理知の領域というより感情の領域に属することだと思います。


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私風景論-8-

1978年の夏に、ぼくは私風景論と題した文章を、手がけたことがありました。写真を撮る心の内部、心の動き、今流でいえば情動といえばよいかとおもいますが、これを知りたいと思っていたような記憶がよみがえってきます。それから30年の歳月が経過したいま、何とはなしにつけたタイトルが<私風景論>です。いまさら何を論じようとしているのだ、との声が背後から聴こえてくるような気持ちです。


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私風景論-9-

年老いてきているせいだと思うけれど、どうも若さとか美しさというものに惹かれてしまいます。それに先行きどれだけあるのか不安な心境で、神とか仏とかの領域に足を踏み入れている私を発見します。俗にこの世という現世において、惹かれていくままにカメラを向けているという、正直な心境です。


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私風景論-10-

注連縄と書いて<しめなわ>と読みます。てっきり締め縄、閉め縄かと思っていたらそうではないらしい。神話を教わる時代に生きていないから知らなかった、では済まされませんか。注連縄は神域と俗域を区分するものであるらしい。その起源は、天照大神が天の岩戸に隠れてしまって暗闇になったので、彼を引っ張り出そうとドンチャン宴会をやってストリップショーになって、顔を出したところを引っ張り出されたといいます。そうして戻れないように天岩戸に張ったのが注連縄だというのです。これが起源で、そうかぁ、天照は男であったのですね。


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私風景論-11-

そのころ千本通りの今出川から中立売までとゆうのは、ぼくの唯一の繁華街でした。繁華街とゆうのは悪の温床であって、子供がひとり、あるいは友だちと徘徊するのは禁じられていた場所でした。小学生のころは親と一緒に行くところでした。スター食堂ってレストランがあって、Aランチ、Bランチ、そのどっちかを食べた。大阪屋という食堂があって、ここは和洋折衷、うどん、丼、それにカレーライス・・・。
西陣京極の入り口にマリヤという喫茶店があった。どっちかゆうと甘党喫茶で、甘いぜんざいが名物のようでした。いやはや半世紀まえ、1950年代のはなしです。


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私風景論-12-

学校行事に修学旅行という宿泊付き遠足があります。ぼくの小学校6年は一泊二日の伊勢神宮参り、中学3年は二泊三日の東京参り、そして高校2年には九州旅行で4泊か5泊でした。伊勢行きは蒸気機関車が二台で引っ張る鉄道でした。東京へは希望号とゆう修学旅行専用電車でした。九州へは別府まで汽船、そっからは汽車に乗り継いで宮崎、鹿児島、熊本・・・と回った記憶があります。それは東京オリンピックの前の年だから1963年のことです。冷たい記憶です。


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私風景論-13-

若い頃ってゆうのは自己没頭、まわりが見えない、それでいいのだと思います。そこそこに分別がついてきたり、年喰ってくるとまわりを気にして鉄火面のようになりますね。いやはや、それ以上に年を喰ってくると、怪人二十面相であったり明智小五郎であったりする。谷崎に瘋癲老人日記なんてのがあるけれど、なんかまねごとしてるんかなぁ、羞じも外聞もあったもんじゃないとは思うけれど、世間体ってのがあるらしい。

終わり
nakagawa shigeo