テーマ 作家研究「東松照明」の50年史
(1)日本の写真の特徴と東松照明(写真の文法)
日本の写真の特徴といえば、絵画や文学の特徴でもある花鳥風月の世界に対して、1950年代のリアリズム(社会の表層をなでていく手法でしか深化しなかった)、1960年代後半の前期コンポラ写真(PROVOKEを中心とする)と、後期コンポラ写真(牛腸茂雄に代表される)というおおきな流れとして観察されるが、東松照明は一貫して社会ドキュメントの方法とあり方にこだわる。
写真の世界では、東松照明より前の世代には名取洋之助や土門拳らがおり、同世代には細江英公や奈良原一高らがおり、少し若い世代に森山大道や中平卓馬や荒木経惟らがいる。
(2)東松照明の前期30年史(1953年から1983年)
1953年 「内灘にて」発表。
内灘は日本で地域住民が最初の基地反対運動の担い手となった。
1954年 岩波写真文庫で名取洋之助と仕事をする。
グラフ雑誌写真と自己表現の問題が露出した。
1959年 若い日本の会(大江健三郎、羽仁進ら)結成。
表現ジャンル横断の会員でテレビ番組制作などをおこなう。
1961年 フォトアート誌に「アスファルト」や「NAGASAKI」を連載。
私的まなざしという新しい表現手法がみられる。
1964年 カメラ毎日誌に「アメリカニゼーション」「廃園」を発表。
カメラ雑誌を発表媒体として展開する。
1966年 「<11時02分>NAGASAKI」出版。
みずから出版社を作り出して単行本出版を試みる。
1973年 カメラ毎日誌に「太陽の鉛筆・沖縄」を連載する。
1975年 「太陽の鉛筆」カメラ毎日から出版する。
1974年〜 ワークショップ写真学校と「桜」取材を経て
1981年 京都取材に入る。
(3)東松照明の後期20年史(1984年から2004年)
1986年 心臓バイパス手術を受ける。その後写真撮影再開でインタフェースの世界へはいる。
1989年 「プラスチックス」を発表(パルコ・ギャラリー)
1990年 「さくら・桜・サクラ」ロッテルダム&大阪で個展
1994年 「桜・京―原像ニッポン国」コニカプラザで個展
京都取材から10年目にして個展開催
1999年 長崎へ移住する。
2003年〜2004年 京都国立近代美術館において6回シリーズの個展を開催
(4)まとめ
内灘、長崎、沖縄、京都を経てインターフェースの世界へ入る50年間の作家活動を時代を追って見てみると、東松照明の写真がいつもその時代の先端をいく作家であることがわかる。
占領シリーズでは、アメリカナイズ(文化侵略)される日本を、沖縄シリーズでは日本文化の起源を巡って、桜・京シリーズでは日本文化の原点をみつめながら、写真表現の限界を拡げてきたといえます。
1989年発表の「プラスチックス」では文明批判の新たな境地を開いたものであり、インタフェースの世界は人間と自然の境界線という、現在の人間のおおきなテーマを扱っています。
壮大な精神空間と人間身体、海と陸、文明と非文明といった環境風土の精神性をあらわにしています。
外面記録から内面記録へ、文化の外側から内側へ、東松照明の視点はいつもその時代の典型を表出させるものです。