写真の歴史-1960年代-

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最新更新日 2018.10.22



 区分:カリキュラム理論編 科目:写真史・作家論


レッスン番号 052

i-photo school
--京都写真学校カリキュラム--

森山大道
・にっぽん劇場写真帖
・写真よさようなら


東松照明HP


東松照明 
<11時02分>NAGASAKI
 1966年発行





provokeと中平卓馬の写真

              <写真の歴史-1960年代->

                              by nakagawa shigeo 2005.8.15・ 2011.10.9

1960年代のアメリカについては先に記載したので、
その状況を引き合いに出しながら、写真史をみてみたいと思います。

戦後の日米関係というのは、いつも米国に追随する構図ですね。
写真においても米国の動向を無視することができないですね。

1966年にアメリカで行われたコンポラ展の作家たちの表現方法を、
こちら流にアレンジしてきます。
顕著になってきたのは、アレ・ブレ・ボケという言葉に示されるように、
これまで持った写真の質というもの、ファインプリント、美しい写真、
の概念をつき崩すかの制作方法でした。

社会の動向も60年代半ば以降は学生運動が活発化してきますね。
大学闘争(紛争)があった時期です。
そういう最中の1968年11月、季刊同人誌「provoke」(プロヴォーク)が創刊されます。
創刊同人は、中平卓馬、高梨豊、多木浩二、岡田隆彦の4人でした。(敬称略)
第二号から森山大道氏が加わり、1969年8月に第三号を発刊して終わりました。

写真が持ってきた制度的な形式を、大胆にも破壊する、という写真群がそこにはありました。

1968年とはどんな時代だったのか?
この時代の開き方が昨今注目されているように見受けます。
およそ35年前の時代検証が始まり、そこから混沌とした未来へつなぐ糸口を、
紡ぎ出そうとするかのようにもみえます。

写真の歴史においても第一に「provoke」を取り上げたのは、その関連においてです。
時代の写真家として、今も若い世代に影響力を与えているその方法を、
解析することから始めていきたいと思います。


写真の歴史-1960年代-2

1960年代ののなかで特に1968年が話題になるのは、
体制基盤である政治や経済の領域、社会運動の側面で、
大きな流動が顕著になった年であったからだと思います。

米のベトナム戦争、仏の5月革命、この国の学生運動・・・
1945年以降の戦後体制の、良くも悪くも20数年間の終わりと、
新たなる始まりの屈折点だったようにも思います。

写真を制作するという写真家個人のレベルに立って捉えると、
作家の内側の心情、思想と表現された写真の立場が明確になるのではないか。
このような視点から、全体と個々の作家の写真をみていきたいと思います。

「PROVOKE」に参加したメンバーは、全員が写真家(専門職)だったのはないですね。
中平卓馬というメンバーは雑誌編集者だったし、岡田隆彦というメンバーは詩人。
写真の撮り手が専門職としての技術屋でなくても写真が成立する、という時代。
撮影技術が優先される写真から、撮られたモノへの解釈が優先される時代へ、です。

ヒト個人という物体の捉え方ですね。
それと社会との関係ということですね。
つまり、大きな大義名分から、
個人的パーソナルな立場への転換があったと思います。
先行して文学上おいて私を確立してくる過程で「私小説」に至ったように、
写真が位相を変えて時代を変えて「私写真」が誕生してきた、とも見れます。

さて、2005年のいま、当時の主テーマだった「人間解放」「自己解体」といった命題が、その後どのように辿ってきたのだろうか、との検証が必要となってきているんだと思われます。
1968年をして現れてきた諸現象の将来的可能性に対して、現実に経過した時間があります。
この現実に経過した年月を、肯定するのか否定するのか、という論の立て方ですね。


「人間解放」とか「自己解体」とかのシンボルに逆行して、
その後、いっそうの抑圧、自己保身が強まった。
そこで新たな人間回復、内面(こころ)の充足をめざすためにも1968年を振り返る。
写真においては、新たな写真の意味を創り出す。
このことがいま、求められているのだと捉えています。

「provoke」同人たちの写真集
・森山大道「にっぽん劇場写真帖」1968年、「写真よさようなら」1972年
・中平卓馬「来るべき言葉のために」1970年
・高梨豊「都市へ」1974年

他の写真家の写真集
・東松照明「<11時02分>NAGASAKI」1966年、「日本」1967年、「おお!新宿」1969年
・荒木経惟「センチメンタルな旅」1971年
・北井一夫「三里塚・1969−1971」

おおきな問題を羅列的に並べていますが、1968年俯瞰-2-でした。


写真の歴史-1960年代-3

1960年代、とりわけ1968年という年にスポットを当てて時代を概観しています。

世界史のキーワードを列記すると。
・西欧文明の行き詰まり感と、そこから派生する不安と混乱
・フランス5月革命
・ベトナム反戦運動と戦争終結へ
・教育システムの帝国主義的再編
・共産主義神話の崩壊(チェコ事件)
・日本のアメリカ化(日米安保条約)

写真史のキーワードを列記すると。
・「報道写真」的な写真の社会機能と「モダンフォト」的な写真作品機能の否定
・「アレ・ブレ・ボケ」といわれる制作方法とその作品群
・言語の意味によって固定される以前の、未分化の世界の断片としての写真
・写真による新しいイメージの創出
・1966年の「コンポラ」展の影響・・・ 等

ここに、当時の世界史の断片と、写真史の断片を並べてみました。
世界史のキーワードは、具体的な事件として立ち現れた現象を列記しました。
また写真史のキーワードは、写真の内容を示す印象として言葉を連ねました。
国際社会の枠組み、日本社会の枠組みが、
政治や経済の領域で再編される最中にありました。

写真においても、それまでの写真が持っていた写真概念を、
問い直し、解体し、再編していく最中にありました。

1968年以降の時代概観を触れておきますと、環境汚染問題、核エネルギー問題が顕著になってきます。
また、人種・民族・宗教対立問題などが局地戦争のかたちをとります。
ニューエイジ、ニューサイエンスの時代に入っていく時期であります。
一方で、シラケの時代ともいわれるように、問題の提起と、問題そのものが表面から見えにくくなる時代でもあります。

まとめとして、写真によって撮られるテーマが、社会の動向に密着していることを明記しておきます。

nakagawa shigeo