by nakagawa shigeo 2005.6〜2017.9
数年前から、1960年代が何かと話題になっています。
世界のレベルでいうと、アメリカはベトナム戦争の真っ只中の時代です。
「偉大なる正義」とでもいうような捉え方が揺るぎだし、
社会の矛盾が一気に噴出してくる激動の時代だったといえるかと思います。
写真の歴史においては、どんな状況だったのでしょうか。
少し振り返ってみたいと思います。
政治レベルで揺るぎだした価値観は、
全ての人々と共有できる客観的な写真、
メディアとしての写真ドキュメンタリーの信頼性が、
崩れていくことにも繋がっていました。
写真家は、自分の「カメラの正義」を疑うことから始めました。
撮られ発表される写真にこめられる意味。
従軍カメラマンが納めた戦場写真の意味。
写真は正義を代弁する、ということへの懐疑。
写真家は被写体と自分との距離を念頭におきながら、
現実に迷う込むとでのいえばいいでしょうか。
(1)1966年にネイサン・ライアンズによって企画された写真展。
「Contemporary Photographers -Toward a Social
Landscape-」
コンテンポラリー・フォトグラファーズ-社会的風景に向って-展。
(会場:ジョージ・イーストマン・ハウス)
出展者は5人。
☆ブルース・デヴィッドソン ☆ダニー・ライアン ☆ドウエイン・マイケルズ
☆リー・フリードランダー ☆ゲリー・ウイノグランド
この写真展のことを俗に、コンポラ展といっています。
ここでは、5人の写真家による、各人の新しいドキュメンタリーの方向が示されていました。
すでに1950年代、ウイリアム・クラインやロバート・フランクという写真家が、
客観的なドキュメンタリー神話を否定し、プライベートな視点を得ていました。
その潮流に1960年代の2つの展覧会にいたるドキュメント写真があったのです。
ロバート・フランク アメリカ人
ここでは具体的な写真イメージとしてウイリアム・クラインを上げます。
☆ウイリアム・クライン
ウイリアム・クライン ニューヨーク
ドキュメンタリー写真の現在を見渡すとき、この時代の考察が必要です。
主要な展覧会は他にもありますが、ここでは「コンポラ展」に絞りました。
1960年代の特長をひとことで言うとしたら、消費文化花盛り。
米ソ冷戦構造があり、ベトナム戦争があり、
世界構造大きく二分していた時代ですね。
そういったなかでメディアの変換が起こります。
雑誌、活字メディアからテレビ、映像メディアへの移行です。
写真は雑誌、活字メディアを中心に需要があったメディアです。
たとえば職業写真家の仕事場は、雑誌LIFEを報道の頂点として、
二度の大戦のはざま1936年に創刊されましたが1972年に廃刊されてしまいます。
新しいメディアとしてのテレビは報道の速報性において、
雑誌、活字メディアを凌駕していきます。
フォト・ジャーナリズムの変化が起こっていたのです。
この現実は、報道メディアの中心が写真から映像に移行することです。
写真が社会的役割として持っていた公共性は、パーソナルメディアとなってきます。
このような外観情勢が写真家の質変換を起こさせてきたのだと考えます。
でも写真の被写体は社会の構造のなかに求められ、
社会問題をパーソナルな視点でとらえていく手法でした。
ダイアン・アーバス (1923年NY生)は、彼女の仕事現場、ファッションの世界から、
フリークスの世界にのめりこんでいきます。
小人や巨人、両性具有者、ヌーディストやドラッグ中毒者・・・
アーバスにとっては、自分のなかの同質への傾斜に従った被写体選択だったのでしょう。
アーバスは、パーソナルドキュメントの旗手となります。
ダイアン・アーバス ダイアン・アーバス
ドキュメント写真の目指す場所が、社会のヘッジの方へ、という流れがここに見えます。
ベトナム戦争に代表される社会的矛盾が噴出してくるのは1968年が頂点です。
写真がパブリックな視点からプライベートな視点へ移ってくる契機が、
雑誌、活字メディアからテレビ、映像メディアへの転換です。
これを見逃すわけにはいきませんね。