<旅行写真>
作家マキシム・デユ・カンは1849年、友人のギュスターヴ・フローベルを誘ってエジプトへの旅に出かけました。デユ・カンは旅の途中でフローベルと別れますが、エジプト、シリア、パレスチナを旅行して帰国しました。この旅行成果を125点からなる写真集を1852年に刊行しました。
イギリス人でフランスに住んでいた考古学者ジョン・バークレー・グリーンは、1854年から56年にかけてナイル川流域の古代エジプト遺跡を調査し、写真記録を作りました。
写真術を携えて旅に出て遠い地域の各地をめぐり、写真集にまとめるということが1850年代におこなわれます。
18世紀末にナポレオンがエジプトに遠征しましたが、そのときには考古学者や銅版画家を伴っていました。19世紀にはパリを中心とする文化は、考古学が盛んになり古代文明の遺跡を探訪するようになります。画家や作家もエキゾチックな地を求めて、旅することを試みます。デユ・カンやグリーンの例は、その一例です。
写真術は、ダゲレオタイプでは対応しきれないのですが、当時にはフィルム「ロウ引き紙ネガ」が開発されていて、これを携えての冒険旅行を敢行します。
旅の記録はパリの市民には目新しい未知の風景でありました。写真家は撮った写真をパリに持ち帰ります。写真は旅の代理体験をさせてくれる代物となって、あらたな記憶の装置を作り出していきます。
ここでは写真の歴史を概観していますが、写真術は、19世紀半ばの西欧文化の成熟のなかで誕生し、以後、文化を創る装置として密接な関係を持ってきます。その文化とは、その時代の人々のニーズであり欲求・欲望であり、見ること知ることを満たしていく装置であったわけです。
1839年写真発明以後、この通史では、3つの展開系を示しています。肖像写真の系、芸術としての写真の系、それに旅行写真の系です。
現在でいえば、営業写真館、自己表現手段としての写真、報道等のドキュメント、というジャンルに分けられるかと思います。
デジタルカメラの出現による現在の状況に引き当ててイメージしますと、19世紀半ばの写真の動向には、今に引き当てる系の萌芽が見て取れます。もちろんこの論では、歴史をひもときながら現在を見る視点を確保していきたいと思っています。