作家名:中山岩太
中山岩太(nakayama iwata)
中山岩太という人物について、ネット検索で探し出すと、おおむね次のような略歴がわかりました。
1895年、福岡県に生まれ、1918年、東京美術学校臨時写真科を卒業(第1期生)して、農商務省の実業練習生として渡米、1921年、ニューヨークの五番街にスタジオを設ける。その後,1926年にパリへ渡り、マン・レイや藤田嗣治らと交流する、とあります。中川は、中山さんが渡米・渡欧の経験をもっていやはるんや、と再認識した次第です。
中山岩太、1927年に帰国、1929年に兵庫県芦屋市に移住、ハナヤ勘兵衛らと「芦屋カメラクラブ」を結成。新興写真運動を展開し、フォトモンタージュの技法を使って幻想的・前衛的なモダニズム感覚溢れる作品群を生み出す。1932年には、野島康三、木村伊兵衛と写真雑誌『光画』を創刊した、とあります。
中山岩太がいた関西。1930年前後の関西の写真愛好家たちがクラブという集団を創ります。浪華写真倶楽部にいた安井らによって結成される大阪の丹平写真倶楽部。中山岩太やハナヤ勘兵衛らが兵庫県の芦屋で結成する芦屋カメラクラブ。写真愛好家たちはその後、2013年現在にまで続くカメラクラブ(グループ)を中心に、作品をつくり、写真展を開催し、友好と親睦と写真技術研鑽を積んでくるのです。
写真で商売ということで見ると営業写真館がありますが、広告で写真を使いだす時代になります。カメラを持つことは、現在とは全く違うレベルで、お金がかかる道楽といわれた時代でした。中山岩太さんが、海外滞在経験をもって写真活動に取り組んだことは、モダニズムな作品を呈示し、写真愛好家の作風に、おおきな影響を与えたと思います。
「写真」をどのように制作し享受するのか、という問いに対して、過去の作家や活動家たちがどのようにしてきたのか、ということを知りたい。このことがこのシリーズを作りはじめた中川の、直接の動機です。京都で写真学校を運営しているなかで、写真史のガイダンスをつくりたい。より深く勉強される人への入門編になるような見て読めるもの。そのように思って、写真の歴史、人物別に連載していきたいと思っています。