作家名:安井仲治


安井仲治(yasui nakaji)

     

安井仲治、1903年大阪の安井洋紙店の長男として生まれ裕福な家庭に育った、とあります。1922年には浪華写真倶楽部に入会、1930年には丹平写真倶楽部の設立に参加。戦前、関西の、写真界の、ど真ん中を、作ってきた、とでもいえる人物でしょう。1942年、38才で死んじゃうんですね。

     

ストレートフォト、スナップ手法、ドキュメント、その手法をもって、写真を制作している安井仲治。関西には浪華写真倶楽部、関東には東京写真研究会、いずれもアマチュア写真倶楽部ですが、安井は、浪華のメンバーでありながら、研展にも入選していたといいます。

     

関西の写真史、戦前の関西、戦後の関西、写真倶楽部の動向を探っていく最初に登場してもらうのが、この安井仲治。作風は、ストレートフォトだけではなくて、ピクトリアル的な作品、フォトモンタージュ作品と、多方面にわたっています。

     

中川自身の写真のルーツをたどっていくと、家族写真からはなれて、作品をつくりだす最初の出逢いが、京都の光影会という写真倶楽部でした。1976年ですが、その写真倶楽部の先祖は、シュピーゲル写真家協会であり、京都丹平であり、京都丹平は大阪の丹平写真倶楽部の分身であり、その前には浪華写真倶楽部(1904年〜)にまで遡れるんです。

     

まったく家系を重んじるわけではなく、名門とかの意識は排除したいと思うんですが、今の世、結局は人と人、人脈、写真の中身とか作風は、個人の発想なり作品傾向が、集団のなかではぐくまれてきて、おおきな傾向をつくっていくと思うんです。個人は、この傾向の中で干渉しあうんでしょうね。

     

中川的には、この30年来、アマチュア写真倶楽部たるものを、遠くから見ていて、むしろその存在を、否定的にもとらえていたんですが、最近は、人が集う場としての写真倶楽部が、ある種、個人の内面を救済する場所でもあるように、思えてきています。

     


     


     


    


    
























































































































































































































































































































写真史作家編のホーム

最新更新日 2019.1.15




HOME

フォトハウス

写真史作家編
写真史作家編に戻る