日本の写真の歴史をひもといていくと、そこに名取洋之助という名前が浮上してくるんですね。この名取洋之助って人は、あの第二次世界大戦のさなかから戦争後に、活躍される人物です。
この名取さん、1934年に日本工房ってのを作って出版物を発行します。その後に主流となるリアリズム写真のスタイルが、ここに見てとれます。
この日本工房にいた人に、木村伊兵衛さんとか土門拳さんとかがいます。このように書くと、名取洋之助という人の存在が、わかる人にはわかると思います。
戦争が終わって、名取さんは岩波書店が発行する「岩波写真文庫」の編集の仕事をしますが、そこに東松照明さんが入社するんです。名取流の写真の撮り方に対して、東松照明さんが、もの申し立てたということも聞き伝えられています。写真表現をめぐる論争ってことらしいですが、詳細、わかりません。
この文章を書いてる中川としては、写真を撮り始めたころ(1975年ごろ)、岩波新書で出ていた「写真の読み方」でしたか、名取さんの文章、写真を撮るためのテキストとして熱心に読んだ記憶があります。