<写真の原理あるいはドキュメント論>
写真は光がないと写らない。
光学的には光がないと写真は写りません。
つまり明るさがないと写真とはならないのです。
光と影とか明と暗とかいいますが、これはいずれも光がある状態です。
まったく自然光であれ人工光であれ、光がない処では写真は撮れない。
だから光の届かない暗闇を撮ることはできません。
光の届かない暗闇を撮るときは光を当ててあげます。
サーチライトってゆう光がありますが、これです。
これを世の中の仕組みのなかで考えてみましょう。
世の中には明部と暗部があります。
明部とは、強く意識化されていて脚光を浴びる部分です。
暗部とは、あまり意識されなくてよく見えない部分です。
社会を図形的、構図的なイメージで捉えてみると、
中心と縁、センターとヘッジとゆうようなイメージです。
明暗でゆうと、中心が明部、縁が暗部とゆうことです。
写真家が被写体に向かう意識をこの明暗の構図でいゆうと、
ある写真家は明部に向かい、ある写真家は暗部に向かいます。
この向かい方は、その写真家の価値観の軸であるように思います。
写真を撮る技術者から、写真家へと名称が変わるとすれば、
写真家とゆうのは、この世の中の明暗にアプローチするヒトとでもいえます。
現在進行形の写真家は、自己意識の明暗にもアプローチするようになっています。
ここに「ドキュメント」とゆう写真家と写真の捉え方の枠組みをみることができます。
写真は光がないと写らない、だから光が当たらない処には光を当てて写します。
写真家はヒトの心理、意識の状態をも読み解きながら光を当てていきます。
写真の原理-光を捉える(3)-
<ドキュメント論>
ドキュメントとは記録、公的記録と訳せばいいのでしょう、要は記録ということにしましょう。
この論では、写真の原理として-光を捉える-と題していますが、ここに光と闇ということを取り上げます。
カメラという機材は光がないと機能しないというのは物理光学の観点からです。ところがカメラは、光が届かない闇へと入っていくということがあります。物理光学のことではなくて、社会現象やヒト現象の社会科学の観点においてです。ドキュメントつまり記録の原点とは、この社会現象やヒト現象をどの観点で捉えるかとゆうことの、闇なる場所に光を与えることになると考えています。
社会構造のなかに美と醜、聖と俗、上品と下品などの区分がなされるときの、醜や俗や下品などのほうへの領域です。この領域への方向は光り当たるところから光り当たらない闇の方向で、その闇に光を当てていくことでです。
ヒト構造のなかには、見えるものと見えないものがあることに気づきます。そのとき自分の内部に不可視なものがあることを自覚しようとします。
社会構造のなかで、見えなくて混沌としていて形はあるけれど、まだ形の輪郭が確定していないものがあります。また気づいているけれど気づかないようにしているとでもいえること。このような輪郭が明確でない混沌とした場を明確な場にしていくこと。
ヒト構造のなかで、ヒト個人のエロティックな欲望や衝動がありますが、ヒトは常にこの欲望や衝動を押しとどめようとしています。このような欲望や衝動を代理体験させる場を作りだしていくこと。
写真が社会構造やヒト個人構造のなかで、まだ見えないものを見えるようにすることが求められ、撮られる。その方向性をもった行為がドキュメントを成立させる根底だと考えています。
社会の底辺とイメージされる部分にカメラが入り込み、写真が撮られ、公表されることで明確になる。ドキュメントの機能とはこうゆうものだと思います。あるいは社会の上層とされるイメージを作り上げるのも写真のドキュメント性でもあります。
写真の歴史をみていくと、このドキュメント性が社会の構造に向けられていた時代から、しだいにヒト個人の構造に向けられてきています。光が当たらない場所に光を当てていく作業が、社会構造の中の闇からヒト構造の中の闇へと進んできているのです。ソーシャルからパーソナルへ、そしてプライベートへとの流れです。いまやこのプライベートの領域に侵入してしまったドキュメントの展開を巡って、写真家はその最前線に立ちます。
アートの最前線と写真の最前線が合流しているかのように見える現在です。
そうゆう現在であるからこそ、写真のドキュメントとは何かとゆうことを明確にしなければいけないと思うのです。
ボクは写真の原理として、光を捉えることに主眼をおきました。この光を捉える場合に、光が当たらない闇にはサーチライトを当てて捉えようとしています。この闇にサーチライトを当て明るみに出してきて社会の光の当たる枠組みになった事例みることで、ドキュメントの現在形が確認できます。
ソーシャルドキュメントの最初は、ルイス・W・ハイン(米国、1874-1940)の仕事です。ハインは1908年、児童労働委員会の専属写真家となり、児童労働の現状を記録します。児童労働の現状を明るみに出したハインの写真は、議会を動かし児童労働保護法制定の重要な資料となりました。写真におけるドキュメント(記録)が社会を動かした例です。
写真の原理-光を捉える(4)-
<写真メディアの特質>
写真を映像の原点として捉えていますが、この写真においては光が無くては撮れないのが特質です。
写真は視覚イメージの平面です。視覚イメージの領域には、絵画があります。アルタミラやラスコの洞窟に見られる壁画や高松塚古墳に見られる壁画。また聖堂・教会や寺院の襖絵・・・など、絵の具をもって手で描かれた絵画、あるいは版画と、形式は似ておりますが、その制作原理は異質なものです。
写真においては、光と時間と対象の三要素が必要です。光と対象(被写体)が同時に存在します。この同時存在を留める時間がいります。この三要素が写真が必要とする条件です。そのなかでも光の存在は本質的役割を持ちます。
かって人類が培ってきた知性の領域において、文学や哲学や政治学という領域では、視覚イメージが欠けています。欠けていることで写真より下位にあるとは考えません、むしろ上位にあると思いますが、写真の本質は光があることです。
写真を芸術と扱うかどうかは別にして、写真は、光と時間と対象の三つの要素から成り立ちます。
写真はこの三要素により撮られた時間を留めて、次に、その写真は過去の光景となります。
後に撮られた写真を見ることで、過去の光と時間と対象が現れてきます。
一枚の写真には、撮られた時間に定着された光景が、未来に向けて時間を保有します。
未来に見られる写真には、過去の時間に定着された光景を見ることができます。
宇宙空間から届く光の痕跡が、光を放った時間を遡って見ているのとよく似た現象かとも思います。
科学技術がエレクトロニクス化を加速させ、一方で情報管理が完璧化されるし時代にあっても、この原理は変わりません。
未来において脳波電気信号により生成されるイメージを外部画像として定着出来るとしたら、そのときまで写真の原理は変わりません。
さて、この原理を使って写真をつくりますが、このつくりだされた写真が、芸術であるかとか、ドキュメントであるかとかの区分けは、すでに写真の分野ではなく、そこに文学や哲学や政治学という領域の作業にゆだねられます。
写真を原点とする映像が、エレクトロニクスメディアによって流通する今日です。だからこそ、写真の原理をよりいっそう明確にするべく時期なのだと考えているのです。
写真の原理-光を捉える(5)-
<ドキュメント論-2->
ドキュメントの方法が、光の無いところを照らし出すサーチライトだと仮説しましたが、そのサーチライトを当てる場所が時代と共に変化してきます。パブリック社会の中に公然とありながら光が当たらない場所を、リース(Jacab
Riis)は1880年代のスラム街に当てましたし、ハイン(Lewis Hine)は1900年代の児童労働の現場に当てました.。
遠くのものを近くに引き寄せ、光の当たらない場所に光を当てていくという写真記録の方法は、都市開発や土地開拓の記録手段としても使われました。1930年代にはFSAプロジェクトとして困窮する農村の現状を記録します。
その後1930年代以降にはライフ誌を代表とするグラフジャーナリズムが主場となります。
これらの手法は、撮影者自身の問題を解くとゆうより、社会の問題を解くためにカメラが向けられた、といえます。
1950年代になると、ウイリアム・クラインやロバート・フランクに代表される自分の立場に即した視点を写真の中に持ち込んできます。個人的立場を貫いていく写真です。<私が見たアメリカ>あるいは<私が見たニューヨーク>とでもゆうような視点です。そこには社会全体を包む問題というより個人が抱える問題が個別化されて表出されてくるのです。個人の内面の光が当たらない場所に光が当てられていくといえばよいでしょうか。
作品を作り出していく過程には、カメラを持って<在るもののなかから見つける>とゆう方法と<無いものを作っていく>とゆう方法がありますが、ドキュメントの方法とゆうのは、この<見つける>方法だともいえます。
この<見つける>方法が、次第に個人的なこだわり(心の深部)を表面に押し出されてくるのだと理解すればいいでしょう。
社会全体から個人へと変容しながらも、写真家自身の家族や友達といった個人的な関係にはまだ光は当てられませんでした。社会構造の歪を縁故のない他者の中にみいだしてきたのです。1960年代になるとラリー・クラークは、ドラッグやセックスやロックンロールに明け暮れる自分と友人の姿を描き出します。1980年代にはナン・ゴールデンが同様に自分と友人を主人公に赤裸々な生活を描き出します。
それらのドキュメントは、いずれもその時代の社会の良識を覆していくように、タブーの扉をこじ開けたといえます。
またシンディ・シャーマンに代表されるセルフポートレートが撮られるのも、1980年代の特長だといえるかも知れません。
ソーシャルからパーソナルへ、プライベートへ、とカメラの視点は向けられてきたといえます。カメラが覗く場所は、一方で見る側に覗き見るスリルを与える被写であるといえます。
写真の原理-光を捉える(6)-
<ドキュメント論-3->
写真は人体内部に入り込み、写真は宇宙深部を捉える。
ミクロの世界からマクロな世界まで、ニエプスが部屋の窓から撮った写真(1826年)を基点として、遠くのモノを近くに引き寄せる装置としてカメラは開発されてきました。エレクトロ二クスの技術開発に伴ってカメラの捕らえる光景も拡大します。
いまや光がなくても、とはいえないです、光のないところには光をあてて、不可視世界を可視領域に組み入れるところまで来ました。磁波による撮影をコンピュータ処理して可視にする技術で、人体内のミクロ宇宙から、130億光年遠くの光まで捕らえることに成功した人類です。
ソーシャルドキュメントからパーソナルドキュメントを経てプライベートドキュメントへと写真表現の位相は変容してきましたが、さて、この先はどこへ向かっていくのでしょうか。これが課題なんです。
存在するが光の当たらない場所に光を当てることで、ドキュメントが成立するとゆう仮説を立てます。一方は物理的に光が存在する、あるいは光を当てることで撮影できます。一方は人の無意識な状態を覚醒させる役割としての写真です。
リスカした腕を写真に撮ることで、内面の無意識を覚醒させようと試みる若い人がいます。人体内部に入り込ませた内視鏡カメラで胃や腸の壁を撮影する物理的な撮影と、自分の血が滲み出る腕を物理的に撮影することは、行為としては同列です。
人の内部の無意識を意識化する装置として、文学手法があります。同様には、写真手法も社会の無意識を意識化する装置として様々に試みてきました。そして現代的なテーマは、個人の内面意識に当てられ、個人の情動や記憶にスポットが当てられます。人間の意識構造が進化してきたものとして捉えると、この先どのように進化していくのだろうか?これが現代的テーマです。
光の当たらない場所に光を当てて写真を撮る、写真を作る。
この光は物理的な光と、物理的ではない意識の光があります。写真表現は往々にして、この物理的ではない意識に光を当てようとしてきました。ここにいえることは、写真の原理として光を捉える捉え方に二つの光がある、ということです。
光がないと写らない写真はまた、意識の光がないと写真表現にはならない。物理的光と非物理的光です。物理的光で捉えられた事象は第一次的写真です。非物理的光が捉えられることで第二次写真、つまり作品として昇華するのです。
じゃ〜現代的テーマを写真に撮るとしたら、どうすればいいのだろうか?!
ドキュメントが直面する現在的課題の枠を、ようやくみることができるようです。