写真の現在テーマはなんだろう?って考えることがあります。
パーソナルな領域で、ヒトの深部を明るみに出す。
それも他人事じゃなくて我が身の深部です。
つまり自分をみつめていくことで明確になってくるもの。
じゃ〜、いったいそれは何か。
それは一人称の私、その私の情動や欲望や記憶・・・
社会の深部へ向かっていった写真表現があったとすれば、
今度は自分の深部へ向かっていく写真表現なんじゃないかな〜
とはいっても写真って現実にあるものしか写せない。
80年代からの潮流は、メイクフォトです、創りだす写真。
この流れの只中で、よりプライベートな領域へ入っていく写真です。
イリュージョン世界を作り出せばいいのかっていえば、そうでもないですね。
情動や欲望や記憶の結果の、ストレート写真とゆう手もある。
何かに託して二次的想像力を喚起することよりも、もっとストレートに、です。
情動や欲望を満たす装置に社会は蓋をしています。
表裏装置とゆう考えで、裏を封じ込めてきたんだとしたら、
この裏装置が表装置の拡大で取り込まれていくことでしょうか。
いまやアーティストの戦いは、裏装置を表へ出してあげることかもしれないですね。
写真の現在テーマ-2-
さて、写真のテーマ、現在的テーマって何なんだろ〜な〜。
勿論、写真を撮る人が「一番興味を持ってること」に尽きるわけですが、この一番興味が持てること、それを探し出して確定させていかなければなりません。
一般に、興味が示される内容とゆうのは、その時代の表層の最先端部分か、
もしくはレトロで、すでに一定の価値と意味に塗り込められた部分です。
前者は価値も意味もまだ未定のまま漂っている領域だけど、
科学の最先端領域を取り入れたテーマ。
後者は、ノスタルジーに裏打ちされた既存の価値と意味の追認となるテーマが多いです。
さて、アートの現場は、どっちかゆうと、前者をテーマとして設定することですね。
かって、写真は外面を捉えることから始まって、
社会の外面、人間の外面、社会の内面、人間の内面へと向かってきたと思います。
この人間に「私」と個人を置いてみますとわかりやすくなるかと思います。
かっては、人間全般のなかの普遍だとされる内面を描写しようとしました。
あるいは「私」の存在を、社会での「私」の存在として位置づけようとしました。
この「私」の存在は、人間の外面を照らし出すものです。
社会の文化規範の中にある自分存在を確認しようとする態度です。
じゃ〜この先は〜とゆうと、「私」の内面です。
私の内面の不思議、科学が解明しようとしてまだ未到達な部分です。
定式化できていない「私」の深層にある感情を捉えて描写することです。
いま、科学が「私」を解明しようとして解明途中にあるものを列記すると、次の三点。
1、生命/生命の起源、生命とは何か
2、記憶/内世界の構造(意識・無意識)
3、欲望/情動の発生
この三つのキーワードを「私」に引き寄せて、私の体験を図象化すること。
図象化といったのは、具体もしくは抽象、二つの方法があるからです。
道具はもちろんカメラを使います(カメラの種類は問いません)。
さて、ここからどんな写真画像が立ち現れるかは、あなたの感性です。
写真の現在テーマ-3-
現在の私たちの環境ってゆうと、機械が創りだす「生命」とそのルール作りだと思います。
私とゆう生命体が社会の中で多様化され、組織化され、その中に自分の職業だとか家庭だとかを確定させてきました。これが従前の社会での「私」の在り方で、その枠組みの中で、自分の方向を決めていくことをしてきました。
でもね、このシステムでは説明つかないような「私」がいるんです。
生命のルールとは、自分を組織化し外部情報を取り入れながら、内部変革を繰り返していくことであると云われます。ですから、カメラをもって写真を撮るとゆうのは、このサイクルの過程を私の中で定着化させていくことだともいえます。
写真を撮ることで、いま求められていることは、生命とゆう現象に直結する表現の方法を編み出すことです。近代合理主義や機械主義のなかで、むしろ無意識的に封じ込めてきたアニマやエロス、いまやこの生命の根源をよみがえらせることかも知れない。そうすると、写真はアニマやエロスが宿っている「心」を科学していくことを求めているのかも知れないですね。
生命科学の先端研究で、生命に関する現象を学問として模索されています。この領域は、遺伝子や心の解析とその展開です。生命の根源を探りだすゲノム研究などは、生命の捉え方や考え方を大きく変えてきています。
こうゆう現状のなかでの写真のテーマは、新しい生命観とか、政治・経済世界の枠組み変換のなかで、生まれ変わっていかなければならないと思います。
写真の場は、生きることの科学成果を原点として、自然や環境を含めた広大な生命圏から創りだされなければなりません。豊かさを追求してきたはずだった近代科学主義は、むしろ人間の心を貧困にしてきたのではないか。この認識をもって、写真のテーマは、新しい生命観に導かれた世界を求めなければいけないんだと思うのです。
写真の現在テーマ-4-