写真の現在
-オリジナルプリント・デジタル写真・フィルム写真-
nakagawa shigeo 2005.5.31〜2011.6.7
2014.8.10
<オリジナル・プリント-1->
デジタルカメラによる写真作りが主流となった現在、オリジナル・プリントについて考えてみます。。
ここでいうプリントとは、印画紙に焼き付けられた写真イメージのことです。
オリジナル・プリントとは、この印画紙写真を絵画と同じように扱う手法です。
写真は、複製できます。
その複製は、大きさや色調をコントロールできます。
ここでちょっと整理します。
絵画は、一点完結のオリジナル作品です。
版画は、複製できる作品ですが、大きさは版サイズに限定されます。
写真は、複製できる作品ですが、大きさや色調を変化させることができます。
この<絵画・版画・写真>、いずれも平面におかれた画像イメージです。
写真の歴史を俯瞰しますと、写真を芸術作品としてギャラリーが扱うのは、1980年頃からです。
写真が作品として扱うその背景には、テレビの普及による写真の位置の変化があります。
報道の主流が印刷媒体から電波媒体になってきたことで、写真の役割が変わったのです。
そこで写真を絵画や版画のように、芸術作品として扱う枠組み作りがおこなわれました。
美術家がカメラ器材を使って、写真プリント作品を作り出したことにも由来します。
さて、問題は現在の状況です。
写真のベースにあるフィルムがデジタルに変わった現状です。
<オリジナル・プリント>をどのように捉え、扱うか、の問題です。
つまり、フィルムに定着されたイメージを印画紙に焼き付けた「モノ」を、オリジナルプリントという扱いだけでなく、デジタル信号をプリンターで出力して、紙画像を得たものをも含めるか否かです。
現状では、デジタルプリントをも、オリジナル・プリントとして扱います。
ここでは、オリジナル・プリントとは、制作されたプリントに価格がつけられて、商品として流通することを前提にしています。
<オリジナル・プリント-2->
フィルムを使って薬品処理をしたプリントを、商品価値にまで高めた写真を、オリジナル・プリントと定義するなら、ここに対置されるのが、デジタルカメラによる画像です。
デジタル画像はデジタルネットワーク上で効力を発揮すると考えていますが、プリンターでプリントされた写真も、一定の質を持つことで、オリジナル・プリントの範疇にいれられるべきだと考えています。
オリジナルプリントの区分に、銀塩写真と非銀塩写真があります。
銀塩写真(シルバープリント)とは、画像を得る材料(薬品)に「銀」を使ったものです。
非銀塩写真(ノンシルバープリント)とは、「銀」を使わないものです。
この区分からいくと、デジタルデータをプリンターにより染料(インク)を使って作られる写真は、非銀塩写真の範疇に入れられる<オリジナル・プリント>として流通させることができます。
オリジナル・プリントという概念が拠出されてくるのは、わが国では1970年代後半です。この時期、写真が担ってきた印刷媒体の役割が、テレビ・ビデオの出現で変容してきます。
かって19世紀半ばに写真術が発明され、絵画の役割が変容したように、1970年代から写真の役割が変容したと見ます。
そこで写真の<オリジナル・プリント>概念が、写真作家の中心に置かれるようになってきた、と分析しています。
写真のオリジナル・プリントは、平面作品としては、絵画、版画に続く美術館のコレクションとして認められてきます。
こうして壁面を飾る芸術作品として、写真が参入するようになったのです。
(注:芸術作品か否かの判断基準は、経済システムによって作られます)
このように俯瞰すると、オリジナル・プリントは、デジタル写真が隆盛してきても、存続していくことになります。
<フィルム写真の領域-1->
デジタル写真が主流になってくるとフィルム写真がなくなる。このように語られることもありますが、フィルム写真は無くなりません。ただ需要が減少しますから、メーカーがフィルム製造を中止する、ということは考えられます。これは経済構造の中での話しですが、問題は、写真家の制作現場の現在はどうなのか?、ということです。
フィルムを使っての写真制作の主流は、35ミリフィルムを使い、一眼レフカメラを使用することでした。
でも、ブロニー判とかシートフィルム(大型カメラ)を使って作品制作をする。非銀塩写真を制作する、という流れも、オリジナル・プリント概念とともに、あります。
今、2011年ですが、写真の発明1839年から172年を経る現在を軸に、あらためて論を立てるとどうなるか、です。
写真術発明前の実験段階から、今後工業生産品としてのフィルムが、使われなくなる段階を含め、約200年の歴史を持つことになるフィルム写真術です。
19世紀中頃から21世紀初頭までの時間軸が、等距離として眺められるようになったのが今、2011年です。
作品制作のための器材や材料について、発明初期の技法も、最近の技法も等距離に置かれる。
この視点の確保がなされるのが、今、2011年の現在です。
撮影器材は、カメラ・オブ・スキュラからピンホール・カメラ、大型カメラから35ミリフィルムカメラまで。
制作材料は、非銀塩材料、銀塩材料(現行カメラで使用)まで。
つまり、過去の制作プロセスが、等距離になり、同じステージに置かれたと考えます。
これが、写真をめぐる基本認識です。
<フィルム写真の領域-2->
フィルム写真を愛好する人は、その物質性をあげられます。
デジタルに比べ、フィルムは目に見えて確認できるモノです。
この手ざわり感と肉眼で見えるということを体感的といいましょう。
身体的フィット感です。
このことを否定はしませんが、その写真を愛好する人は、35ミリ判フィルムカメラをもって、そのように比較されることが多いです。
先にも書きましたが、フィルム写真の領域は、これまでの歴史全てを包含する位置から論じる必要があるわけです。
基本的にフィルム写真領域は、手工業的なのです。
もともと手作りだったものが、工業製品化されたのだから、回帰する方向は、手作りの方向です。
手作りの方法もあり、工業製品化されたフィルムを使う方法もある。
この程度の幅をもって、作品創りのためのカメラとフィルムを選択する必要がある。
このように考えています。
いまフィルムからデジタルへと、移行している時代だからこそ、あえてこのように申し述べるところです。
ここに写真作家の立ち位置があります。
作家にとって器材・材料の選択は認識の基礎条件です。
銀塩写真、非銀塩写真のどちらを選ぶか。
銀塩写真を選んだなら、フィルムサイズをどれにするか。
フィルムには、ポジカラーとネガカラーがあり、俗称白黒フィルムがあります。
こういった器材と材料の幅をも含んで、なお作品の内容を重視することになるのです。
<デジタル写真の領域-1->
デジタルカメラによるデジタル写真が主流となった2011年の現在です。
フィルムを使った写真から、デジタルによる写真へと移行しました。
かって写真が発明された当初の絵画と写真。
カラー写真が開発された当時のモノクロ写真とカラー写真。
そしていま、フィルム写真からデジタル写真へ移行した時代です。
では、デジタル写真の時代の特徴は何かというと、
自己表現の手段としての写真、これを発表形態まで含めて考えると、
情報ネットワーク社会の典型ツール、インターネットとの組み合わせです。
デジタル写真は、また、撮影から発表まで、自分ひとりで処理が出来るツールです。
フィルム写真処理では、自家現像、自家プリントが誰にでもできることではなかった。
第三者(ラボ)を通して処理するしか手段がなかったより多くの写真愛好家がいましたが、
デジタル写真では、自家処理が簡単にできるようになりました。
つまりデジタル化の時代は、プライベート写真が、より隆盛するだろうと予測します。
写真のテーマが、一層内面化し、プライベート化していく可能性です。
それとランニングコストの低減化です。
デジタルカメラとパソコン環境を初期投資すれば、後はランニングコストがかからない。
このコスト低減化は、若い作家たち、経済的に負担がかからないことで、若い作家たちが輩出される。
既存の、写真家となっていくプロセスが解体されていくなかで、新しい潮流が誕生してくる可能性があります。
いまやその潮流が、デジカメ+blog、WEBアルバム、写メール、といった領域で起こっているとも感じられます。
デジタル写真は、プライベートツールとして使われる。
友達を撮った写真、恋人を撮った写真、家族を撮った写真。
それらの写真群が、秘密裏に撮られて秘密裏に保存される。
デジタルデータという形で、目に見えない形で、保存される。
写真を撮ることは自分を記録することであり、この記録がますますプライベートな領域に踏み込んでいきます。
写真家が写真を発表する場所は、フィルム写真の場合は、ギャラリーやミュージアムといった展示空間と展示壁面が必要とされました。
ところで、デジタル写真は、むしろインターネット上に展開されるHPにおいて展示される。
デジタルネットワークの領域が、地理的遠近を均一な、等距離にしてしまったのですが、デジタル写真は、このネットワーク空間において鑑賞者の前に表示されることになる。
インターネット環境にしろ、デジタル写真環境にしろ、まだ登場して間もないツールです。
写真への記憶は、フィルムの出現によって定着させられた約100年の時間を記憶しています。
その後に、ギャラリー空間やミュージアム空間、そして印刷媒体を使って、発表せられてきました。
いまやその発表媒体そのものが変容してきているのです。
デジタル写真の発表場所が、デジタルネットワーク空間をメイン空間とするのは、時間の問題です。
さて、プライベートツールとして使われるデジタルカメラによって撮られた写真は、デジタルネットワーク空間において発表される。
ただしこの領域の特徴は、匿名性において無償にて流布されることが多いことです。
写真の未来は、デジタルに移行し無償の方へ移行していきます。
ところで、現代の写真は、産業として経済システムに組みふされる傾向にありますから、作家であることを捉え直す必要に迫られているともいえます。
金が儲かり、生活手段として写真を売るために、作家となるという根底の考え方を、捉え直す必要があると思うのです。