関西の写真史
中川繁夫:著


タイトル
ザ・フォーラム


<自主運営ギャラリー「ザ・フォーラム」>

1980年当時、関西にも自主運営ギャラリーがほしいという、多くの若い写真家たちの希望がありました。雑誌では大阪に「オン・ザ・シーン」誌があり、京都には「映像情報」がありました。「ザ・フォーラム」は、そういった状況をベースにして、生まれてきたと言えます。関西で、専用スペースを持った、最初の自主運営ギャラリーであったと思います。

オープンは1982年5月4日、場所は大阪市南区南船場にあるマンション「パレロワイヤル順慶町」の901号室。思いとしては、ステーグリッツがニューヨーク五番街に開廊した「291ギャラリー」のようであってほしい。オープンに先がけ、3月6日には、<映像作家「大阪82」ー映像作家の集いー>が開催されます。

その案内から引用します。
写真・映画・ビデオといった映像と、その作家をとりまく現状はどうなのか。こと関西とりわけ大阪においては、映像メディアを担う作家が共有する「場」の創出が、いま望まれています。
そこで、これからの関西とりわけ大阪で、新しい波を起こすべき方向を探るために、話し合う機会を設けました。各ジャンルのアーティストに参加を呼びかけます。日時・1982年3月6日、場所・デルタ・オフィス、会費・500円。

4月24日(土)の午後6時から、ザ・フォーラムにて、<映像ギャラリー5月4日オープン「ザ・フォーラム設立」作家の集い>が開催され、設立同人の打ち合わせ会が開催されます。そうして5月4日から、オープン記念イベントが開催されます。THE FORUM、関西若手映像作家達自身による表現とコミュニケーションの空間、写真家・フィルム作家・ビデオ作家達が今、新たなヴィジュアル・ウエーブを起こす。

イベント内容は、三つの写真展と一つのビデオアート展、それにシンポジウムが行なわれました。

5/4〜5/9 「フォト・セッション」
   新見輝人、太田順一、園田恵子、高嶋清俊
5/10〜5/16「写真展・無名碑」
   中川繁夫
5/17〜5/23「ビデオアート展・光速者宣言」
   岡崎純
5/24〜5/30「写真展・サンセットタイム・イン・アメリカ」
   畑祥雄
5/30シンポジウム「映像世界のゆくえ」

毎週土曜日のPM6:00より、各作家を囲んでのティーパーティーがあります。お茶代500円。

    

自主運営ギャラリーがほしい。メーカーギャラリーが主流だったその当時、若い写真家たちの思いは自主ギャラリー。ザ・フォーラムがオープンするまでのいきさつを書きしるしておきたいと思います。場所の賃貸者は、ビデオオフィス・デルタの岡崎純さん、瀬川恵美さん。中川との関係は、1979年12月、京都の「聖家族」で開催した「写真展・釜ヶ崎」のときに、ビデオ取材したいと言ってきたことに始まります。

彼らは当時、テレビモアという名前でグループを組み、ビデオアートのイベントをやっていました。当時まだ19才だった瀬川恵美さんが、釜ヶ崎にボランティアで来ていて、ビデオ作品を作っていたんです。プレイガイドジャーナル、プガジャに載せた写真展とトーク案内を見て、取材を申し入れてこられた。そこで、主宰者の岡崎純さん、瀬川恵美さんと意気投合。その後大阪の天王寺にあったオフィスへ、釜ヶ崎取材の帰りに、立ち寄っていろいろ話をしました。

ビデオカメラで作品を、家庭の記録、8ミリフィルムからビデオへ、その走りの時代で、彼らは小松左京さんの紹介で、家電量販店のビデオフロアの管理を請け負うということで、収入を得られるようになり、堺筋のマンション、パレロワイヤルの一室へ入居したんです。ギャラリーが出来るスペースを確保して、オフィスを兼用する。写真と映像を中心とした展示・イベントスペースとして、展開していこう。

1981年から1982年にかけて、関西在住の若い写真家たちが、「東松照明の写真展、いま!」開催のために集まっていたこともあって、オンザシーンのメンバーにギャラリーの話を持ちかけると、やろう、ということになり、ザ・フォーラムのオープンに至ります。

オープンから一年、1983年5月まで、写真の展示スペースとして、ビデオアート作品のの上映スペースとして、ザ・フォーラムは続きますが、主宰者の一人、瀬川恵美さんの突然の死により、閉鎖をよぎなくされます。時代の変わり目といえばいいのかも知れません。東京で1974年から1975年にかけて行なわれた「写真ワークショップ」そこに集まった若い写真家たちが起こす「自主運営ギャラリー」、ある意味その閉鎖性による限界が見えてきたころ。その前後には、オリジナルプリントを扱う専門ギャラリーができます。

ともあれ、場が出来ると人が集まる。人が集まる場を作る。ギャラリー機能をベースにして、集まれる場。学校機能をベースにして、集まれる場。その後には、自主運営ギャラリーから、若い写真家は、徐々に場の運営をほかに委ねられる環境が生まれてきます。写真専門の美術館が誕生してくるには、もう少し時間が必要ですが、大きな流れは、できつつあったと思える1980年代前半だったのでは、ないでしょうか。

    












































































































































































































フォトハウス

最新更新日 2018.11.23


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