関西の写真史
中川繁夫:著


タイトル
私設「写真の日」


1981年3月、京都の若い写真家・批評家のムーブメントが起こってきました。
それが、私設「写真の日」のイベントです。呼び掛け文等を中心にして、残しておきます。

いまでもその場所に、象画廊があるけど、通るたびに思い出すけど、そこは二階で階段をあがっていくのだけれど、ついにいままで階段を登ったことがない。なんかしら、甘酸っぱい記憶。思い出すとはにかみたくなるようなイメージで、ぼくに迫ってくる感じなんです。

武田博さんとは、それより一年ほど前に、ぼくが釜ヶ崎写真展を、聖家族でやったときに、見に来てくれた人ではなかったか。武田さんは、京都産大の写真部を指導していたのかどうだったか、一緒にいた学生メンバーが京都産大の学生でした。

呼びかけられた経緯は忘れてしまったけれど、いま、そのときの書き物を見ると、前出の企画書と、次に示す協力者石原輝雄さんの書き物があって、それをここに載せておくのがいいと思います。当時、ここに集まった若い人たち、とはいっても企画者はすでに還暦を迎えた世代です。かってあった良き時代に写真生活を送った思い出、それに浸りながら、酒でも酌み交わしながらの語り草です。


以下は呼び掛け文です。

作って見ようよ、写真、写真、写真だらけの「写真の日」
日時、1981年3月21日と22日、AM11:00〜PM8:00
場所、「象画廊」京都・四条河原町上る東側
企画・構成、武田博
協力、石原輝雄
私設「写真の日」は、幾つかの小写真展と会場参加者とが作り出す「フォト・フリー・スペース」で有りたいと願っています。
プリント、スライド、自費出版物、ミニコミ、古本、etc、何でもかんでも写真に関するものなら総べて持ち込み、展示、売買、OKです。
色々な「写真」とのささやかな出会いに期待を寄せ、
貴方と「写真」との参加を待っています。
1981.2.5、武田博

私設「写真の日」予定MENU
◎武田博、小写真展。シリーズ風無しの街からNO5「帰郷、そして迎春」
◎協賛者による小写真展、石原輝雄、梅津フジオ、新司健、中川繁夫、山下順
◎参加者持込み写真、貼出し写真展
◎参加者持込みスライド撮写会
◎フリーマーケット
◎写真関係出版物の立読大会
◎写真論議、大立話し大会
◎その他色々

私設「写真の日」によせて、作って見ようよ!
写真、写真、写真だらけの写真の日

私達は写真を撮る人であり、写真を撮られる人であったとそいえも、写真を拒否できない人達である。私達の肖像権はそもそも始めから存在しないのだから。人が大人になり、自分というものを自覚するまでの季節の移り変わりを、本人の同意なく写真は突きつけてくる。
「お父さん、私を撮らないで!」という子供は、雄浮と引き替えに愛情を失っていく。写真は子供にとって暴力である。

家族の記念写真が血縁幻想の証であるように、主体的な表現行為としての写真も社会情況を誤認する手段(てだて)である。写真はその質ではなく、圧倒的な量として事の実体を語ろうとしてきたし、世界の多様性がそうしたものを要請してきたとしても、それに組みこまれ、乗せられてしまった写真青年達は、今こそ自分の位場所を見定めて、一つの意志表示をせねばならない、すなわち、私設「写真の日」に拘るか否かと。表現の欲求は、自己実現の欲求であり、破戒された自我を取り戻す行為であり、転成の感情である。

私達が願うのは、実際に身体を動かして人生について語る若い心である。彼や彼女を結ぶ共通の話題が広い意味での「写真」であるならば、まず、それについて語ろう、それを見せよう。
いつも期待出来るのは、純粋な好奇心であり、貴方その人である。石原輝雄

    
























































































































































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最新更新日 2018.11.23


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