関西の写真史
中川繁夫:著


タイトル
いま!!東松照明の世界・展

(1)
1982年9月13日から9月18日には、大阪府立現代美術センターにて、また同時開催で9月13日から9月26日まで、通天閣三階のわいわい広場で、「いま!!東松照明の世界・展」の大阪開催がありました。

この展覧会の企画は、東京で組まれ、全国巡回をめざした展覧会で、各地の有志が実行委員会を組んで、実行していくという形式でした。手元にこの大阪展への趣旨書があるので、これを再録しておきます。

    

「いま!!東松照明の世界・展」大阪趣旨書

東松照明氏が、現代日本を代表する最もすぐれた写真家であることを知っている人は多いと思います。他に類を見ない、彼の広汎な現実認識・鋭い洞察力、そして旺盛な表現活動は、写真以外の分野からも、また海外に於ても、彼が日本の写真の最大の担い手として高く評価されている所以です。

東松照明氏の戦後三十年間にわたる写真を一つにして、私達は「いま!!東松照明の世界・展」大阪開催を企画し、実現しつつあります。これは、未発表のもの、既発表のものを問わず、1951年から1980年まで撮り続け、求め続けられた彼の写真的行為の全てを挙げて、今日の日本が内包する問題の核心に迫ろうと試みられた展示会です。

写真総数540余点、六セクション、T「風化するとき(長崎)、U「チューインガムとチョコレート」、V「日本」、W「GNP」、X「噴出」、Y「太陽の鉛筆(沖縄)」という壮大なスケールと、表現空間の多様さ、また事象をえぐる無類の適確さで、今をつくりなす現実の核へと結実していくさまを、人々は見ることができると思います。

同時に、この展示会は、決められたスケジュールに沿って大会場を回していく既成品としての写真展ではなく、全国六十ヶ所の土地で写真に関わっている人に限らず、絵を描いている人、詩を書く人、映画、演劇、音楽などジャンルを問わず、また今は何も手にしていなくとも強く何かを求めている人々、そういった広範な人々の中から創り上げようという試みなのです。既に九ヶ所で、同展示会は開かれています。

大阪でも六十人強の人々が賛意を示し、スライド会やシンポジウムなどのイベントを催しながら輪を広げています。地盤沈下といわれる大阪の経済・文化の現況の中で、様々な人がお互いを刺激し合いながら創り上げようという写真展、それがこの「いま!!東松照明の世界・展」なのです。是非とも御賛意の上、御協力を御願い致します。
(以上)

大阪実行委員会の最初のミーティングは、1981年夏の終わりごろだったと記憶しています。大阪写真専門学校(現・ビジュアルアーツ大阪)の教室に、呼びかけられて集まった主に写真関係者が会合しました。

最初の呼びかけ者の一人、堀居耕一氏の寄稿文によると、1980年夏に、大阪でも東松展をやらないかと声をかけられた、とあります。時間的に見ると、実行委員会が立ちあがるまで約一年の期間があり、それから一年間の実行委員会活動があり、本展が実行された、ということになります。この展覧会を実行するプロセスで、伏線的に現われてくるのがいくつかの催し、ムーブメントでした。

    


<追悼、東松照明さん>2013.2.13記

このまえに関西の写真史で、いま!東松照明の世界・展について書いた直後に、東松照明さんがお亡くなりになっていたという、報道に接しました。それからかれこれひと月半。四十九日とよくいいますが、こころの喪が明けるころ、そんな感じがします。ようやく、その事実から萎えていたこころが、昨日今日あたりで、ここを再出発させようと思ったところです。

さて、この関西の写真史、客観的事実なんて立場を意識して、なるべく全体像を浮かびあがらせようとの試みで、この文章を書いてきたところです。でも、けっきょく、わたし自身の経験、見聞による内容になるものだから、その渦中にいるわたしについて、いっそう自分自身に近づけて、書いていこうと思っています。客観的なんて、やっぱりできないよなぁ、って思ってしまってその後の文章が続かなかったようです。

さて、東松照明さんが関西、とりわけ京都に来たのは、東松さん自身の写真撮影のためでした。1981年の9月ごろだったか、展覧会開催のための準備会が大阪写真専門学校で開催された。10月24日には福島辰夫さんを迎えて、スライド会が開催された。そうしてこの年12月大晦日、東松照明さんの京都取材が始まったのです。この項は東松照明さんの論ではないので、別にしますが、ともあれ、関西の写真史にも影響を与えてきたことは、多分にあると思います。

さて、はなしはさかのぼって1981年9月ごろ、<いま!東松照明の世界・展>開催の呼びかけがあり、大阪写真専門学校(現:ビジュアルアーツ大阪)の教室に、賛同者が集まった。そのなかに、わたし中川繁夫がいて、畑祥雄さんがいて、岡田悦子さんがいた。この日は、大阪写真専門学校の先生とか、関西在住の若い写真愛好者たちが集まったのでした。

懇親会があったのかどうか定かではないけれど、わたしは畑祥雄さんと言葉を交わし、岡田悦子さんを紹介された。どうしてわたしのことを、畑祥雄さんが知っていたのか、定かではありませんが、釜ヶ崎で写真活動をしていた経緯で、知ってもらっていたのかとも思えます。このとき、初めてお会いし、その後、現在2013年まで、断続的にですが、関係が続いています。

それで、このとき、畑祥雄さんから、写真シンポジュームを開催しないか、との話があって、わたし中川が受けた。当時わたしは映像情報というミニコミ雑誌を発行していて、写真シンポジュームを企画し、開催させました。シンポジュームの名称は、「Photo シンポジウム in kyoto」です。

    
         
東松照明さん 祇園風の木亭にて 1982年7月17日













































































































































































































































フォトハウス

最新更新日 2018.11.23


関西写真史目次

フォトハウス



関西写真史目次に戻る