関西の写真史
中川繁夫:著
写真情報
いま、ぼくの手元に、写真情報社から発せられた<「写真基金」への出資の願い>という案内書があります。この写真情報社が、1970年代後半から1980年代にかけて、関西の写真シーンに大きな役割を果たしていたと思っています。写真情報を発行していた写真情報社は、1977年に福岡市に設立された同人です。その後活動の拠点を関西に、事務局は京都市に置かれて、活動されていました。
コピー誌「写真手帖」の発行、写真展「視覚への啓発」を東京、京都、福岡にて開催、情報DM「写真情報」の発行など、マイナーメディアの形成とそれを通して写真の情報を発信していく。そういった動きをされていたグループでした。関西の写真をめぐる動きには、かってあったアマチュア写真クラブの流れがあり、大学や専門学校を卒業した人たちによる写真現場があり、おおむねあるヒエラルキーが形成されているなかで、写真情報社の活動は、新しく写真シーンを担う人たちへの熱いメッセージとなったと考えています。
個々に写真活動をはじめて、個々がバラバラな状態を、まとめていく作業は、情報を発信することから始まります。設立スタッフは、金森格、藤井謙介、梅津フジオ、笠井享、海原修平の各氏。なにかと情報を集め、発信していく手段として、郵便で送るダイレクトメール方式です。現在2012年のメディア環境では考えられない閉塞状態。まだパソコンもインターネットも無かった年代。資金捻出にも苦労がつきまとった年代です。
写真情報社主宰の梅津フジオ氏は、1972年4月に創刊される「地平」の創刊号と二号に写真を発表するメンバーです。この写真誌「地平」は、1972年4月創刊、主に福岡を拠点として活動し、1977年9月に第十号を出して終わります。地平のメンバーは、黒沼康一、百々俊二、山下良典、遠藤正仁、梅津フジオ、中川貴司ら(敬称略)が関わって、一時代を代表するグループへと展開していきます。このグループから輩出の作家では、現在のビジュアルアーツ専門学校の先生になっていらしゃる方が多くいらっしゃいます。
さて、梅津氏が主宰する写真情報社の目的は「情報提供からメディアの創設へ」です。写真情報社主宰の梅津氏は語ります。写真情報の対象が300人になり、切手代、コピー代、情報収集など、多大な負担となるなかで、独自の紙誌の発行を企画しています。京都へ来てから三年半、独自のリストが関西で300ヶ所、全国で600ヶ所ほどできました。自主運営は赤字がついてまわりますが、資本から自由なのです。
基金への出資の願いのなかで、1983年春には、運営スタッフ3名の共同出資によりトーシャファックス印刷機を購入、既に写真情報社は印刷機能をもち、今後は懸案の印刷紙誌の発行、資料集等の編集・発行を順次具体化し、検証と批評のためのメディア創りを進め、出版局構想を具現化したいと考えています、といいます。
あらためて、いま思うことは、こういった個々の努力があって、情報が共有され、現場が生まれてくることが、見えてきます。まだまだインディペンデントな活動が、個々バラバラな年代に、写真情報社が残すその功績は、称えてここに記しておきます。
最新更新日 2018.11.23