関西の写真史
中川繁夫:著


フリー・スペース「聖家族」

京都において、フリー・スペース「聖家族」がオープンするのは、1980年3月1日。フリー・スペース「聖家族」通信が、発行されます。場所は、京都・河原町丸善ビル東入ルワインリバー下ル。開設のご案内を引用してみます。

今でも、地味なフリー・スペースとして活動してきた「聖家族」で、このほど新たに、発展的な個々のたずさわっている手段を、スムーズに発表できる場所として、より自由に解放していきたいと考え、ここに、フリー・スペース「聖家族」の開設を試みることになりました。

昨年12月、写真家中川繁夫氏による「釜ヶ崎写真展」を企画したところ、より多くの人たちの反響があり、その後、ジャンルにこだわらず、各分野の自主的な発表の場として、利用していきたいという声があり、ここに、フリー・スペース「聖家族」として、「場」及び「空間」を利用したイベントを組んでいくことを企画しました。

今、ぼくらが求めているものは、いわゆる「作品」と呼ぶ以前の、生の形で発表を試みることです。作者と観客がストレートにふれあえる場であること。それはぼくらの生きざまの断片であり、思考の断片であり、連続する行為の中間発表の場であり続ける筈です。

申し込みは自由です。個人又はグループで申し込んでください。
(1980/2)、聖家族/石山昭、企画参加者/中川繁夫。

<3月イベントのお知らせ>

※1日(土)〜8日(土) 正午〜AM2:00
「釜ヶ崎 中川繁夫写真展 partU」
3月8日PM3:00〜、座談会。出席・中川繁夫(写真家)・石山昭(聖家族)

※「劇」 日時未定(問い合わせのこと)

※「フィルム」 日時未定(問い合わせのこと)

■4月以降、イベント参加者募集中です。必要諸経費についてはご相談ください。
写真・イラスト・絵画・版画・フィルム・劇・その他

■フリー・スペース「聖家族」会員募集中です。
会費、突き200円
特典・あなたがイベントを組めます。
・特別イベントに優先的に参加できます。
フリー・スペース聖家族通信を定期的に郵送します。
申し込み・聖家族にて受付中。会費を添えて申し込んで下さい。
1980/2/20発行 発行人 中川繁夫

以上、フリー・スペース「聖家族」通信からの引用でした。

こうして開設されたフリースペース「聖家族」、飲み屋の空間を利用して、イベントをおこなう場として誕生しました。しかし、この年の8月には、飲み屋「聖家族」の賃貸契約が継続できず、フリー・スペース「聖家族」も必然的に閉鎖になりました。


    


フリー・スペース聖家族、1980年4月のイベントは、写真展「南大阪’79・冬ー自主管理の現場からー」を4月7日〜13日まで、最終日には座談会が設けられました。4月21日〜27日まで、森伸治朗写真展「骸骨人ーセルフポートレイトー」が開かれました。中旬には、カナダのビデオ作家マイケル・ゴールド・バーグ氏制作の「ビデオ・イン」を上映、作者は筑波大学講師として滞在中でした。5月には、村上雅裕写真展「GCM」、森正樹とそのグループによる8ミリフィルム上映会が開催されました。

こうして80年代初頭、京都にフリー・スペースがオープンしたけれど、5月末には飲み屋としての聖家族が、空間を維持していくための権利、賃貸契約が切れるということ。6月以降の開店について、石山氏のもと、努力されていました。しかし、努力も空しく、賃貸契約には至りませんでした。70年代の解放空間としての聖家族。その聖家族が、フリー・スペースとして機能するのは、飲み屋としての場が確保されることが前提でした。

フリー・スペース聖家族通信VOL4&5から抜粋。

この京都で始まった映像におけるフリー・スペース運動とは、一体、何なのか、という意味づけは将来に待つとして、映像主体の意識変革の場として、フリー・スペースは機能していくものです。
80年にはいって、フリー・スペースが設立されたのだが、ぼくらをとりまいてる社会状況も激変しています。しかし、ぼくらの日々、毎日の生活は、表面的にはなんら変わるkとがないように見える。また、ぼくらはそう思っている。

単に面白半分でやりたいことを無目的にやっているのではない。また個々ばらばらの、孤独な、映像の展示発表の場としてあるのでもない。イベントを組む個々人の発想は、様々であり、そこに関わる意味もまた個々の独自性にゆだねられてしかるべきではあるが、フリー・スペースとしての持ち得る意味は、その総体として、今、映像とは何か。映像にとりまかれているぼくらの情況はどうなのか、という洞察の場であり、また、今ある映像の情況を認識していくことによって、そこではなしえられないぼくら自身の価値の創造と意味の拡大を試みていくことにあるのです。ぼくらが今、感覚的に求めているものを、理論と実践のなかに定義づけていくことが可能か、を問うのです。

飲み屋としての聖家族は、こうしtぼくらの物理的な制約の中で、精神の解放区をめざして運営されてきたのでしたが、こお空間を維持していくための権利そのものの保持について、今、努力されているところです。物理的な場として確保ができたところで初めて、フリー・スペースとしての機能が成立するのですから、飲み屋としての聖家族が開店することが第一の条件となってきます。

金銭的には、ぼくらにとって莫大な資金を必要とするフリー・スペースの創出を、なんのためらいもなく、すでに存在した場を意味づけていくことだけで成り立ったことに、ぼくは感動し、そうして実現したのでした。フリー・スペースの場に先立つ設立同人、講座の企画など、フリー・スペースの場そのものの成立があってからというのではなく、同人がまず集まり、その中から企画が生まれ、そうしてフリー・スペースが創出されてくるというのが、本当の姿だと思うのです。

しかし、呼びかけ人として、まずやりませんか、と呼びかけるにはやはり即、その時から機能できる場が存在し、この場を利用しようということから呼びかけないと、結局のところ呼びかけだけに終わってしまうような気がしているのです。フリー・スペースとしての場の確保を第一条件として。その場があるということを前提としてやっていかなければ、と思うのです。

フリー・スペースは閉鎖的な同人、あるいは同好クラブをめざしているのではない以上、フリー・スペースとしての空間そのものが存在することによってのみ、開放的な展望が生まれてくるのであって、単にひとが集まるだけでは結局のところ、旧来と同じパターンを繰り返すだけだと思うのです。

    
         
石山昭(左)と中川繁夫(右) 聖家族1979.12


























































































































































































































































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最新更新日 2018.11.23


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