関西の写真史
中川繁夫:著


リトルフォトスペースin聖家族

    
           
聖家族 釜ヶ崎写真展座談会風景 1979.12.9

先に1979年8月、大阪は西成区、釜ヶ崎の三角公園で、釜ヶ崎日雇労働組合(釜日労)主催の夏祭りで、その期間中に写真展を開催することになりました。日替わり写真展、現地で撮った写真を翌日に展示するという写真展です。発想は中平卓馬の「なぜ植物図鑑か」のなかに書かれてあったビエンナーレで中平が試みた写真展示、これに触発されて、提案して、了解を得られたものです。是非はともかく、四日間の日程で、ハードスケジュールをこなしました。

この青空写真展の延長線上に、京都は河原町蛸薬師にあった飲み屋「聖家族」の壁面を釜ヶ崎の六つ切り写真300枚余で埋め尽くす。そのような写真展、荒木経惟がラーメン店の壁面で写真展をおこなったと、どこかで読んで知って、それが頭によぎってきたのです。1979年12月1日から12月9日まで開催することになりました。最終日の12月9日には、釜日労委員長の稲垣氏を囲んでの座談会を企画しました。

その当時のミニコミ情報誌、「プレイガイドジャーナル」、プガジャに情報を提供し、ポスターを作って京都市内に張出、狭い飲み屋の聖家族、満席になりました。そのプガジャを見て、ビデオグループ「テレビモア」の取材申し込みがあり、当日、聖家族へ取材に来たのでした。岡崎純さん、瀬川恵美さん、そのとき初めて顔を会わせた。その後、彼ら「テレビモア」とぼくとの交流があり、「ザ・フォーラム」の創出にまでつながります。

写真展のタイトルは「79’釜ヶ崎/中川繁夫写真展」、聖家族の運営者石山昭氏とは、いろいろな話題の中で、この聖家族を、写真展示を含むイベントの場として使っていこうとの話しで、年が明けて1980年には、具体的に、飲み屋「聖家族」で共同運営のギャラリーを立ち上げることになっていきます。

その後、大きなうねりのなかで、集まってくる若い写真家、写真愛好者らは、まだそれぞれ、個別に活動していた。1970年代には、前にも書いた東京の動き、カメラ雑誌の影響、それらが個々人のなかに意識化されてきて、関西、大阪や京都において、場づくりが始まっていくことになります。東京における自主ギャラリーの話題は、関西においても実現可能かどうかを模索する動きになって、結実してきます。

離合集散、渦巻きのように、人が集まり、人が変わり、場所が生まれ、場所が消えていき、新しい場が生まれてきます。若い写真家たちの活動が、既成の枠組みとは別の場所から、生じて、消えていく。そんなイメージで、ぼくは見ています。ぼくにとっては、1979年の夏、釜ヶ崎青空写真展から、飲み屋「聖家族」での写真展まで、たったひとりの叛乱、なんて申しておりました。

       
























































































































フォトハウス

最新更新日 2018.11.23


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